桐生市いじめ自殺裁判  勝利の記録

桐生市いじめ自殺裁判に勝利するまで

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なぜ 公教育の いじめは なくならないのか

  1. 2017/04/07(金) 14:23:09|
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1 見せかけの平等と実際の力学
 法令や体裁は欺瞞に満ちている。教育の理想は「すべての生徒が安心して学べる教育」と
語っているが、実際には教育体系は国家や社会のニーズに応じて「必要とされる人材育成」
という産業界の要請に基づいて設計されている。
 また人間心理は、乗り物や機械が進歩しても、旧態依然として弱者を抑え勝者になりたいという
自己保存本能に支配されている。
 故に教育現場も常に強者と弱者という拮抗関係にさらされている。

2 小役人の役得と狡さ
 今や校長や教頭が人格者であるとは誰も思っていない。実際にその選考過程でも、「ごますり」や
「個人プレー」や「物言わず主義」が出世しているのが実際だ。加えて管理職になれば、退職金増額や天下りポストというか公民館などへの再就職が待っている。
 だから彼らは教育者というより「小役人」といったほうが良い。
しかし侮るなかれ、彼らはその耐性において「打たれ強い」「ものに動じない」という昆虫のような耐性がある。だから世間がどういおうと新聞やテレビがなに報道しようが、延々と第三者委員会ではなどと責任回避をつぶやき続ける。

3 眼の光を失った「生ける屍」
 ゴーゴリがそういうことを書いていたかどうか、ただその題名は彼らにぴったりだ。
(続く)
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