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桐生市いじめ自殺裁判  勝利の記録

桐生市いじめ自殺裁判に勝利するまで

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大津事件「第三者委員会報告書 」 桐生市と比べて 

  1. 2013/03/30(土) 13:45:15|
  2. 第三者調査委員会
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
大津市いじめ自殺事件に関する第三者委の報告書を桐生市と比べてコメントする。

Ⅰ. 大津市の第三者委員会について
1.委員の人選のレベルが高い。尾木氏は言うまでもなく、元裁判官、教育関係の大学教授で構成されている。
(桐生市の場合、教育の専門家はいない。委員長が弁護士、精神科医は県職員、大学教授は映像解析が専門、PTA関係者や人権擁護委員は普通のおじさんレベル、と比べて歴然の差)。

2.聞き取りや集約作業を行う調査員も弁護士を使っている。およそ7カ月かけ綿密な聞き取り調査を行っている。
(桐生市ではおよそ4か月、調査委員は教育委員会事務局員つまり当事者)。

3.透明性と情報公開。この報告書は市内の教員全員に配布を要請し、特に被害者家族への説明責任を強調している。
(桐生市は人選、会議の過程、報告書、配布先すべて秘密主義、特に遺族に対して一度も説明がおこなれていない)。

4.加害側生徒の言い分も十分に聞くように配慮した。しかし、読売新聞の暴走で妨害されたとある。
(桐生市は加害側児童も放任。配慮も指導も一切なく、ただもみ消しに終始している。これでは児童は一生罪の意識を背負い続けるだろう)。

Ⅱ. 報告書の内容について。、

1.報告書は「いじめの事実、学校市教委の対応、考察、提言」という構成で、事件の調査だけでなく、この報告書を今後の教育に生かそうとしている。
(桐生市の報告書は、一般教員は「おそれおおくて」見ることもできない。-桐生市市教委係長の話ーお蔵入り。教育への改善策は、主にあの「スパイ役」を演じた学校カウンセラーの数を増やすことだけ)。

2、200頁ほどの報告書だが平易な文体で分かりやすく書かれている。
(桐生市では報告書の結論部分のサマリーがが記者会見で示されただけ。市民に見せないわからせない目的で書かれたもの。)

Ⅲ.桐生市のいじめ自殺事件で参考になる点

1.大津でも原告側に家庭事情の弱みがあり、それに付け込んでスクールカウンセラーがバイアスをかけるような動きを初動から行い、個人情報を漏らし責任をを家庭に転嫁しようとしした。
(桐生市も「学校カウンセラー」の相談内容を遺族の攻撃材料に使っている。基本的に同じ動きであるが桐生市の場合、峰岸、星野学校カウンセラーは、無資格者なのでさらにひどい。県教委の角田学校教育課長補佐―当時ーはこの学校カウンセラーについて、よく承知していないと言った)。

2.大津市の中学校も大規模校で、学級も2学期に「学級崩壊」現象に陥っている。
しかし、だからいじめの事実や責任が排除されるものでなく、その中で特定のいじめが目立たなくなる『透明化現象』が起きていると反論している。
(桐生市では、事件後たった2週間の学校の調査で「学級崩壊」を印象付け、市教委の「素人委員」の面々は嬉しそうにそれを囃したてていた。)
この点はは桐生市教委の役人らしい恥知らずな隠蔽を強く批判している箇所であろう。

3.報告書の事件経過をよく読むとマスコミ報道のように会児童たちが生まれつきの鬼畜や犯罪者でなく、普通の生徒が歯止めのない行いに走っていったことがわかる。特に大規模校において様々な学校行事を勧める中でこまめな生徒観察等が手抜き状態になる中でおこったと読める。
(桐生市でも、学校統合や地域の旧住民と新住民の混住、多くのいじめが運動会、校外学習などの陰で行われ、学校でベテランは教頭、教務主任、生徒指導などの管理業務のみに集中し肝心の児童への教育を忙しい現場教員やアルバイトのような臨時雇いに任せたツケがいじめを許容する隙間を生じた。)

4.報告書はさらに学校、市教委の調査と責任を取らない姿勢を批判しているが、これも桐生市教育委員会が、委任弁護士に判断をゆだね、その指示を仰ぐような教育の専門性を放棄した姿勢と一致している。公教育は多額の税金を使い、不登校児を「出しぶり」と出席強要する傲慢さを持ちながら、自分の責任は回避する特権階層にいいようにされることであってはならない。
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