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桐生市いじめ自殺裁判  勝利の記録

桐生市いじめ自殺裁判に勝利するまで

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中村県議のブログ記事「人生意気に感ず」は何を感じるか

  1. 2013/05/17(金) 00:06:05|
  2. 市民の会の意見
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
群馬県議中村紀雄氏(自民党)が同氏のブログ「人生意気に感ず」5月14日付記事で明子さんの裁判について書いている。中村議員は何を感じているのか。

以下記事内容
◇2010年に、私は、本会議で明子さんの自殺を取り上げ、「連鎖」を止めねばと訴えた。マスコミも大変だった。訴訟は続く。教育行政の無力を感じる。弁護士が、当時の同級生に謝罪と300万円の慰謝料を求めたことが報じられている。訴訟に持ち込まないで解決する事の重要さを痛感する。教育で、訴訟は最後の手段だ。

コメント
2010年に、私は、本会議で明子さんの自殺を取り上げ、「連鎖」を止めねばと訴えた。
 確かに中村氏は遺族宅に駆け付け話を直接聞いた数少ない議員であった。
 ただし「連鎖を止めねば」というのは少しひっかかる。この悲劇自体の真相を解明し責任の所在を明らかにする事が第一である。
 「連鎖」という言葉は、ある教員組合員が言ったように「マスコミが報道すると自殺の連鎖が起こるから騒がない方がいい」といったおかしな考えにつながる。今後悲劇を繰り返さないめ教育界の問題点を明らかにし対策を練ることに議員は労力を注ぐべきである。
群馬県議も桐生市議も行政に遠慮して、または裁判だからといってしりすぼみし、裁判傍聴にも来ないし、議会で取り上げることもタブーとしている。

マスコミも大変だった。
マスコミはこの事件を大きくとりあげ、大津事件と並び全国で注目されたと書くべきだろう。

訴訟は続く。
 学校や市教委は遺族に対し不誠実な対応に終始した。だから原告は訴訟に踏み切ったのである。被告側は普通の証人尋問も拒否して、事態を曖昧にしたままに和解に持ち込もうとした。そこで原告は裁判費用が二重にかかることを覚悟してまで、代理人をチェンジし訴訟を続けている。
 訴訟は自然現象ではない。大変な努力で維持しているのである。東大西洋史卒の社会科学者が混同しては困る。

教育行政の無力を感じる。
 意味深な言葉である。無力とは何を指していっているのか。教育行政を熟語で分析すれば次のような表現になる。

◎事件前の教育行政は、いじめ対策については文部省通達も守らず「怠慢」であった。
◎学校の統廃合問題を主とする環境整備室がいじめ問題を扱う「混乱」状態だった。
◎カウンセラー資格のない者に「学校カウンセラー」という名前をつける「軽率」だった。

◎事件後の学校、市教委、PTAの連係プレーは、残業も土日出勤もいとわず、NASAも顔負けの分刻みで働く点で「保身と隠蔽に粉骨砕身」であった。
◎家族に責任をなすりつけるため市教委臨時会を開き、第三者でない第三者委員会を秘密裏に進める「トリックは狡猾」であった。
◎担任教師の行方をくらませ、児童の責任を一人に押し付けるスケープゴート作戦は、「教育者にあるまじき卑劣」であった。
◎第4回公判で学校歯科医の「DVが疑われる」書面、「学校カウンセラー」の家庭攻撃、更には「電話密告」で遺族を弱らせるために「使った手段は破廉恥」であった。

◎これらは「教育行政の無力ではなく堕落」である。

弁護士が、当時の同級生に謝罪と300万円の慰謝料を求めたことが報じられている。訴訟に持ち込まないで解決する事の重要さを痛感する。教育で、訴訟は最後の手段だ。

 意味不明の文である。学校現場も社会の外ではない。学校内も教師も児童も民法、刑法の対象範囲内である。今は学校外より、学校内の方が危険になっていることが問題なのだ。市教委より警察のほうが、捜査は綿密に行われ、調書を改ざんしたり、有力者に配慮することはない(と思う)。
 同級生についていえば、学校関係者もそうだが、いじめ事実が明らかになっても、まったく謝意が伝えられていない。そういうことを氏は知っているのだろうか。
 地元では「父親が手をかけた」という警察捜査に対立する名誉棄損発言が平然となされている。このような風潮を新里近隣地域出身の同議員はどうとらえているのだろうか。

 一介の評論家であれば、東洋哲学的名文句で結べばよいかもしれないが、氏が政治家であればリアリティーが大事。少女の死を明らかにするため、民主主義のルールを守りまっとうな裁判をすることが法の正義なのではないか。教育が何もしないときに訴訟をしてどこが悪いのか答えてほしい。


追伸:この文章は同氏のコメント欄に投稿したが、一切無視されている。きちんと意気に感じてほしい。
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