• 2017_09
  • <<
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • >>
  • 2017_11

桐生市いじめ自殺裁判  勝利の記録

桐生市いじめ自殺裁判に勝利するまで

スポンサーサイト

  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

いじめ問題へのアプローチについて 1

  1. 2013/09/06(金) 16:22:38|
  2. 市民の会の意見
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
最新のちゃりこ父さんのコメントには興味深い論点があったので市民の会のメンバーとして取り上げる。

> 婦人公論の最新号で尾木直樹と小森さんがいじめについて対談していたんで、尾木直樹のブログに「認識が甘いんじゃないの」って書いてこちらのブログ紹介しておいたけど、三十分くらいしたら削除されてた。教育評論家って名前のタレントだもんね。聞く耳持つわけないわな。そのうち議員立候補して名士になりたがるのだろうか…
(以上がちゃりこ父さんのコメント)

いじめ問題に対するアプローチと対処法について様々あると思う。
下手すると御用学者がこれを利用して自分の研究実績に利用する者も多い。

私が初めて「いじめ問題」として取り立てて認識したのは、1980年代で民間の教育研究者
斎藤次郎氏の「いじめの構造」(現代評論社)だった。
斎藤次郎氏はどうやら新左翼系の研究者で子供社会の研究などをする人で長髪で気さくな人だった。
(残念ながら数年前親子でマリファナを吸引していてそれがニュースに出た)。
斎藤氏の論考はおそらく、フランスのミシエルフーコーの管理社会論をベースにしていて、公教育の国民管理の
行く末に教室という閉じられた空間で「学力やしつけ」という国の要請に基づいた競争システムの結果生じてきたものだと言っていたと思う。
私はその枠組みは基本的に支持している。だからラディカルに言えば公教育の論理との対峙なしにはいじめ問題は根幹を欠く。
そのあと泡沫学者のノウハウ本がたくさん出て反って問題の所在を不明にしている。

現在いじめ問題とどう立ち向かうかということについては、種々の立場があるが、基本的に被害児童の立場に立って
加害者の責任を問う、管理者や教師の真摯な対応を問うスタンスであれば基本的に「仲間」だと思う。

中には大津事件の弁護士さんのように、学校という閉ざされた空間に市民社会のルールを適用し被害者の立場で
加害者に罪を問うというのも大賛成である。警察権力を使って人権を守るのは当然である。

ジェントル・ハートは文字通りやさしい心でいじめに対する啓蒙や文部官僚の上からの指導を矯正するという動きも賛成である。
そして尾木直樹さんのように国民に影響力のある教育評論家が、やわらかい口調で基本的に国民の側に立って発言するのもよいと思う。(続く)
関連記事
スポンサーサイト


 管理者にだけ表示を許可する
 


.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。