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重い荷物を引きずり学校に通う児童

  1. 2013/09/10(火) 08:27:12|
  2. 市民の会の意見
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1
教育産業としての視点

 朝の登校風景、列をなして登校する児童、これはまだいい。
下校風景、重い荷物を背負った児童が暑い道を疲れきって歩いている。
これは我々の思い出とは少し違う、以前は教科書類のほかには給食の残りの
コッペパンが入っていた程度だった。
今の子供が背負っている本やらプリントや体操着や笛など
これらは教育産業化した今の義務教育が買わせた荷物である。

 数十年前から教育界は「教育工学」というような言葉を使い教育をテクノロジー化する試みを
していました。それはやたらにカタカナ語を持ち込んで「教育学者」が売り込み論文の数を増やそうという
試みだったと思います。でも教師たちは、「学力が低いので」その論文も読みこめず、そのみじめな結果だけは空しく再生産しました。研究会や指定校がおお流行りで子供と向かい合う時間を犠牲にして
「会議・会議、資料・資料」で公費を使い続けてきた。

 では100歩譲って、「教育産業」としての義務教育が顧客としての児童と父母に
サービスを提供しているか。こういう視点で見るとはっきりすることもある。
その場合の観点は
①安全 ②知識 ③情操 ④徳性 ⑤体力 ⑥社会的能力 である。
①安全:こどもは行事に引きずりまわされ、陰でいじめがっても教師は視認できない。いじめがあっても隠蔽し責任回避する。塾や市民団体の教育産業よりも危険。
②読み書きソロバンで市販教材を使い、学力テストによる学力測定は塾や公文と同じくらいか、使っている時間数を考えれば効果は低い。中高生の歴史地理知識は近代史や外国のことは教えないので0に等しい。
③情操:子供は競争にさらされつねにイライラしている。もともとの遊びから疎外されゲームで異常に攻撃や性的な刺激に浸されている。
④徳のない教師に指揮された哀れな羊たちの群れ。学校で育成されるのは徳ではなくて細切れの時間割に従う無気力な体と神経。
⑤体力:地域の子供社会で行われていたチャンバラやベーゴマ遊び、おにごっこ、かくれんぼのようなわくわくする楽しみと一緒の体力に変わり、陸上競技や水泳などのオリンピック競技の低年齢化に組み込まれた「優生的児童」偏重。偏った大人のような子供の成育。
⑥社会的能力:年長者が年少者を気遣い自然に形成する遊び社会ではなく、「弱肉強食」のルールで作られる「教室」という檻で子供は、本来持っていた「ピティ」(共感)を失う。





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  1. 2013/09/10(火) 08:50:02 |
  2. URL |
  3. ちゃりこ父
  4. [ 編集 ]
要するに、売上重視。
スポーツ界も同じでしょ。
芸能界みたいなもの。末端を騙してレッスン料などを吸いとる。そこに罪悪感なんてないからね。
比較学力しか頭にないから、静岡の県知事みたいなバカものが、学力の低い学校の校長を公表するとか言い始める…
公表して欲しいのは、隠蔽校長、捏造教師、嘘つき教育委員会の個人名のはずです。

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