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桐生市いじめ自殺裁判  勝利の記録

桐生市いじめ自殺裁判に勝利するまで

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「怒りのメゾフォルテ」

  1. 2013/09/13(金) 13:32:06|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6
ちゃりこ父さんのコメントに紹介された「怒りのメゾフォルテ」というブログを見せてもらった。
これは、カッター訓練という野外行事の場で、無責任な業者と教師たちによって娘さんを失ったご家族の
ブログである。

ここに出てくる円満退職ばかり気に欠ける校長や卒業アルバムから抹消しようとする姿勢は
桐生市新里東小学校と相通じるところがあり、まさに卑怯、卑劣な教師像を現わしている。

ただ私が一番印象に残ったのは、「学校行事」のことである。

今の学校が公教育として一番先鋭的に姿を現すのが「学校行事」だと思う。
要するに多大なエネルギーを費やし、費用をかけ、生徒に緊張や危険性を強いているのが
「学校行事」である。
明子さんのいじめが極度に現れたのも運動会や修学旅行、そして岸校長が命じ、細野教務主任が
手を引きずり自殺の直接の契機になったのが社会科見学だった。

結論的にいえば、学校行事とは、国家が民衆を「国のために働くロボットにするための」活動である。
今回のカッター練習についても社会生活に必要な素養ではない。水兵さんの行う訓練である。
運動会の行進ももとは兵隊訓練である。組み体操も、合唱コンクールも・・・。

保護者はお子さんをもっと楽しく学校に行って欲しい思いで送り出している。自発的な遊びはいくらでもあり
その中で自然な集団もできる。

だから、「安全な学校行事」という発想自体疑ってかかることが大切である。
そうでないとPTAも保護者会も安易に行事のアシスタントとして使われてしまう。

とりあえず、学校行事の全員参加を止めるべきである。
カッター訓練は、自衛隊、海上保安庁、警察、消防志望の生徒がすればいい。
残った生徒は学校で遊んでいればいいのだ。

そろそろ日本人もいかに自分たちが上から下まで国家に洗脳されているか知るべきであろう。

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No title

  1. 2015/03/11(水) 13:58:05 |
  2. URL |
  3. rainbow
  4. [ 編集 ]
>忠武飛龍さん
もう治らないと諦める前に、
ジンジャートリートメントやセイタカアワダチソウ茶あるいは水素水を研究してみてはいかがですか?
http://hanbey8.jugem.jp/?eid=200
http://www.h4o-cat.com/cnc1.html
しょうがは透析患者の臨床で50~100%回復してるとも言われているみたいですし、セイタカアワダチソウのサポニンや酵素にも特効あるようです。http://ayurveda.jp/ginger-kidney

Re: タイトルなし

  1. 2013/09/16(月) 20:47:07 |
  2. URL |
  3. 市民の会
  4. [ 編集 ]
> 忠武飛龍さんのご意見に付け加えさせていただくと、組織が腐りきっているからといって、教師が卑劣なのを許してはならない。組織を作るのは構成員なのだから。
> そんな教師には、茨木のり子の詩を贈ろう。
> 「自分の感受性くらい自分で守れ、ばかものよ」

同感です。人に道を説く前に自分を振り返れ。

  1. 2013/09/16(月) 16:17:25 |
  2. URL |
  3. ちゃりこ父
  4. [ 編集 ]
忠武飛龍さんのご意見に付け加えさせていただくと、組織が腐りきっているからといって、教師が卑劣なのを許してはならない。組織を作るのは構成員なのだから。
そんな教師には、茨木のり子の詩を贈ろう。
「自分の感受性くらい自分で守れ、ばかものよ」

  1. 2013/09/15(日) 16:18:07 |
  2. URL |
  3. 忠武飛龍
  4. [ 編集 ]
昔、JR西日本の福知山線事故の職員の対応を思い出します。

恐ろしいのは、同車両に乗っていた職員は、なんと、会社の命令で、事故現場を放置して会社に出勤させられました。

あの当時のJR西日本は、狂ってました。
その上に、鉄道会社は、きわめて上意下達重視で、命令はほぼ絶対です。


あの時に、自己判断で事故現場の復旧・支援をしていたら、たぶん、首でしょう。


学校に、教師の善意や自己判断の為す余地はもはやないようです。

学校は、昔日の「学び舎」でなく、実質は工場で、ブロイラーの飼育場と同様になってます。

また、JR西日本も学校・教師も、社会の「利益・効率至上」の無責任な思惑・流行に流されて、まともに息もできないようになってます。


>「学歴エリート」は暴走する 「東大話法」が蝕む日本人の魂 (講談社プラスアルファ新書) 安冨 歩

を読んでください。

日本の学校教育は、基本的に「戦争のため」のモノです。

イジメで「兵士」になれない子供をすりつぶす傾向がありまうす。

再見!

  1. 2013/09/13(金) 15:02:51 |
  2. URL |
  3. ちゃりこ父
  4. [ 編集 ]
学校行事というのは、つつがなく行いましたよ、と報告するために存在しているだけ。

寛容と放置をはき違え、
管理と洗脳・強制の区別もつかない。

そんなものに集団を引率したり、行事を行う資格はない。

何故、何故、何故

  1. 2013/09/13(金) 14:18:39 |
  2. URL |
  3. tsuguo-kodera
  4. [ 編集 ]
 今日の記事は義務教育が始まった経緯の説明のように昔者には思えました。
 昔者は、学校にメンコやビー玉をしにいった時期もありました。何かが流行していたのです。ケン玉、フラフープなどなど。
 遊びで博打の怖さ、勝負事の難しさを知りました。ルールの大切さも、スポーツではなく、メンコなどで学びました。勝てば鞄一杯。負けたらゼロの勝負は下校時に何時もありました。
 海の学校や山の学校は大学の運動部の人が付きっ切りでした。今なら大変な経費がかかるでしょう。当時は全部ロハでした。
 参加者は、希望者の中のできそうな人だけ。個人的に参加していました。少数でした。マラソンやプール水泳のタイムで脚きりもありました。
 今は義務教育の中の運動部はおおむね軍事訓練のように見えます。号令、隊列、挨拶、姿などなど。
 私は戦後生まれでしたので、本当の軍事訓練はしたことがありませんが、父や叔父から聞いていました。運動場で見ていると、その教練のように、見えます。
 運動は遊びの一環だった終戦の年生まれの私には気持ち悪い状況です。
 なぜ、管理人様のような正論が一般化しないのか、門外漢には不思議です。何故、何故と考えるのがビジネスマンだからかも。
 私は定年までビジネスオンリーで生きてきましたので、学校の話は半世紀飛んでいます。昔より相当怖い世界になったのかもと考えてしまいます。
 ありがとうございますとは簡単には言えそうもありません。

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