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桐生市いじめ自殺裁判  勝利の記録

桐生市いじめ自殺裁判に勝利するまで

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学校を元に戻すだけ

  1. 2013/09/13(金) 15:29:07|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
学校行事についてTsuguoさんのコメントは重要だと思うのでここに引用します。

「今日の記事は義務教育が始まった経緯の説明のように昔者には思えました。
 昔者は、学校にメンコやビー玉をしにいった時期もありました。何かが流行していたのです。ケン玉、フラフープなどなど。
 遊びで博打の怖さ、勝負事の難しさを知りました。ルールの大切さも、スポーツではなく、メンコなどで学びました。勝てば鞄一杯。負けたらゼロの勝負は下校時に何時もありました。
 海の学校や山の学校は大学の運動部の人が付きっ切りでした。今なら大変な経費がかかるでしょう。当時は全部ロハでした。
 参加者は、希望者の中のできそうな人だけ。個人的に参加していました。少数でした。マラソンやプール水泳のタイムで脚きりもありました。
 今は義務教育の中の運動部はおおむね軍事訓練のように見えます。号令、隊列、挨拶、姿などなど。
 私は戦後生まれでしたので、本当の軍事訓練はしたことがありませんが、父や叔父から聞いていました。運動場で見ていると、その教練のように、見えます。
 運動は遊びの一環だった終戦の年生まれの私には気持ち悪い状況です。
 なぜ、管理人様のような正論が一般化しないのか、門外漢には不思議です。何故、何故と考えるのがビジネスマンだからかも。
 私は定年までビジネスオンリーで生きてきましたので、学校の話は半世紀飛んでいます。昔より相当怖い世界になったのかもと考えてしまいます。
 ありがとうございますとは簡単には言えそうもありません。」

以上の引用を私なりに分析すると、
① 戦後初期の学校は子供社会を全部とりこんでいなかった。
② 当然遊び道具も容認されていた。
③ 子供の遊びは賭けの要素もありスリルのあるものだったし、実践的ルールも学ぶことができた。
以上が遊びと学校という視点だと思います。
まさにその通りで、子供の遊びはドキドキ、ワクワクするものでそれこそが子供時代の輝きのようなものでしょう。
またそういう場所で目の輝いた姿が見られるはずです。
今の学校はトランプや将棋も取り上げ、机でする下敷きピンポンも駄目でしょう。
かわりにテストの点数による序列づけ・・。

次に
① 運動部も体育も整列、行進が重要となり、観客のいない雨の日の体育大会も入場行進をする不思議さ。
行進が高く足を振り上げれば、もうヒトラーユーゲントや北朝鮮と同じです。

② 野外行事:筆者の学校では大学生の協力があり恵まれた環境のように思えます。
でも、そういった海や山のキャンプも、貧しき日本の象徴ではないでしょうか。
それよりも夏休みは、家族や数家族で海や高原でのんびり過ごし、大人ともまじり恋も生まれるというような
バカンスの過ごし方が今では求められているでしょう。

ここでポジティブな提言で現実的な施策を考えるとすれば、
子供生活すべてを、無能で不道徳な教師たちに(公務員に)預けるのを止め、
学校の役割を限定することではないでしょうか。
このままいくと日本人が窒息します。

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  1. 2013/09/13(金) 20:46:02 |
  2. URL |
  3. ちゃりこ父
  4. [ 編集 ]
そう、
学校なんていらない、と主張している私が百歩譲って学校を残すことを認めてやるとしたら、やっぱり限定させなくちゃね。
奴ら教師にもはやできることは
「ボクの生徒がボクの生徒をいじめてますよ」と正直に警察に通報することだけ。
それすらも嘘をつくわけだが。

実行計画が大事かも

  1. 2013/09/13(金) 19:12:41 |
  2. URL |
  3. tsuguo-kodera
  4. [ 編集 ]
 引用頂きありがとうございます。驚きましたが光栄です。少し付言させてください。
 基本的に、管理人様の結論に賛成していますので再コメントしました。でも、如何にタイムテーブルを定義し、どこから始めるかが難しいかも知れません。お金と時間が必要でしょう。お金を少なく、善は急げかも。
 おっしゃる通り、私はまさに貧乏な時代に育ちました。説明不能かも。ピンポン、将棋、花札、トランプ何でもありの学校でした。夏休み別荘に行く同級生も確かに多かったのですが、全体的にはお父さんは企業の課長レベルや学校の先生程度だったのでは。
 夏休み、学校のプールに毎日いけました。学園前の駅前でトンボ釣りができました。夏休みの夜、大学の生物部が校庭でランプで昆虫採集してくれました。これは昆虫の解説やカブトムシのお土産つき。只でした。
 夏休み2,3回、公立小学校の校庭で映画もありました。映画村でしたので、映画は身近でした。本物の二本立てや岩波の教育映画やデズニーと思しき漫画も。社会教育だったのかも。
 住民は夏休みの週末、家族で見にゆきました。テレビはまだ実験段階、ときどき学校に集まって見せてもらいました。力道山でも高々数十人でした。
 映画が娯楽の定番でした。夜の校庭は大人気、満杯。おやつも持っていけたから。近隣住民は楽しみにしていました。なお、これは区が主催し、只でした。
 町のほとんど全員が貧乏なのに誰もが楽しくできていたし、あえて別荘などに行かずともよかったのです。今、大都会の一番の高級住宅街も回りは畑や森林があったのです。富士山も学校から綺麗に見えたのです。毎日が今なら別荘のようなものでした。でも、今は相当地方に行かなければできません。
 管理人様の提言を実行すると、先生の数は減るるかも知れませんが、人件費は上がるかも。上等な人材を集める施策が必須だからです。そして、町の優秀な人々に支援してもらうことも必要かもしれません。町ごとに特徴があるし、あるべきと考えているからです。その他経費も上がるでしょう。
 当時、子供たち誰もが、誰かを苛めている暇はありませんでした。遊びに夢中な生徒さんが多かったので。もっともクラスの1割程度の勉強家や芸術家志向の人だけが勉強していたのかも。
 今の時代、遊びや芸事などで暇をなくすのはお金がいるでしょう。ゆとり教育と同じでは。
 でも、提言が試行されることを願っています。楽しみにしています。

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