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桐生市いじめ自殺裁判  勝利の記録

桐生市いじめ自殺裁判に勝利するまで

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討論歓迎です

  1. 2013/09/21(土) 21:34:18|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
ちゃりこ父さん、ベルナールさん
ブログ主催者として討論は歓迎です。いずれも悪意ある中傷ではないので。
ただ「相手を打ち負かす」議論は、非生産的なので、主に自分の主張をすることにしましょう。

問題はリアルタイムの子供のおかれた状況ですから。

そうしないと、職員会議でつまらん話をしていたり、くだらない研修をしている間に
子供は放置され、いじめが拡大するというのと同じになります。

ところで、ベルナールさんの所論にいくつか「市民の会の市民」とし異議があります。

①学級崩壊からいじめ自殺という図式
今までのいじめ自殺事件がほとんどそうであったという捉え方は言い過ぎでしょう。
新里東小では4年生、5年生と継続的ないじめがあり、桐生市教育委員会はそのときのPTA役員の
子供や育成会の役員の子供のいじめを隠すために、「学級崩壊」という言葉を喜んで使い、まるで
「学級崩壊」が自然現象のように使っています。
あなたのおっしゃるようなモラルの高い教師がいても権力に弱ければ子供はそれを見抜きます。
つまり社会科学的モデルでいじめを分析しても実態はもっと三面記事やそこら中にある刑事事件に
似たものなのです。だから司法が(教師が)作用しなければ、教師が弾劾されなければならないのです。

②宗教論争になりますが、私は旧約の世界と新約を分離して捉えています。旧約のエレミヤの例は
特に相克の激しかった西洋の古代民族の歴史のリアリズムを反映した知恵であると思います。
少数派を抹殺する者は他の地で少数派として抹殺されることもあり、競争や暴力よりもさらに普遍的に
存在する心情が良心としてあるということを示していると思います。
だから、イエスの犠牲を経なくても暴力は克服できるものであり、逆にキリスト教徒が新大陸で行った暴虐や幾多の戦争への加担も教理によるモラルが陥る危険性を示していると思います。
 とはいえ、私は常々宗教者がいじめ問題に発言し行動しないのを不思議に思っていました。それは宗教さえも堕落してしまった日本の実情というようにとらえています。




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  1. 2013/09/22(日) 12:21:32 |
  2. URL |
  3. ベルナール
  4. [ 編集 ]
引用「とはいえ、私は常々宗教者がいじめ問題に発言し行動しないのを不思議に思っていました。それは宗教さえも堕落してしまった日本の実情というようにとらえています」

http://blogs.yahoo.co.jp/cjc_skj/28755295.html

いえ、そのようなことはございません。日本のカトリック教会はこの事件を極めて重視しており、桐生カトリック教会では追悼ミサも行われています。

下の方に、聖書の教えなどリアルタイムで悩んでいる子供に役立たない云々の投稿がありましたが、このような発想こそ、特殊日本的な偏狭性の典型でしょう。フィリピン人の母親がいかなる信仰を持っていたかなど、日本ではカトリック信者以外誰も関心を持っていないわけです。

どうもあの教室状況でいじめが停止したか否かはわかりませんが、毎週日曜日お母様が教会のミサに参加させ、「どんな辛いことがあっても、自殺だけはしないで」と繰り返していれば、最悪の事態だけは避けられたのではないかという可能性は残ります。

また、カトリック司祭は、簡単に言えば、社会的信用のある地方の名士であり、学校施設もあり、教育や行政関係者にもルートがあるはずです。宗教界は、ある意味で「命のホットライン」なのです。こうしたルートをフルに活用していれば、違った事態になったかもしれないという蓋然性はあると思います。

  1. 2013/09/22(日) 01:48:11 |
  2. URL |
  3. ベルナール
  4. [ 編集 ]
ブログ主さん、こんばんは。

①に関して、何も異議はございません。「『学級崩壊』を自然現象のように考えてはいません。不適切に指導により極めてまれな現象ではないかと考えています。
②に関しましては、「新大陸で行った暴虐や幾多の戦争への加担」と「教理によるモラル」は別と考えております。前者は人為的な制度による過誤であり、後者、つまり聖書の教えとは齟齬しますので。一つ、新聞等ではまったく報道されていないのですが、いま一つわからない点があります。聖書が「リアルタイムの子供のおかれた状況」に働きかけられるか否かですが、それはレースバイケースであり、お母様がフィリピンの方なら、一概に「ノー」とは言えないのではないでしょうか。周知のように、フィリピンでは、大多数がカトリックであり、少数派としてイスラムも存在しますが、家庭内に英語かタガログ語の聖書がない方がまれであり、東京ではタガログ語のミサもございます。そのあたりがこれまでの報道では、まるでわからないのです。

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