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桐生市いじめ自殺裁判  勝利の記録

桐生市いじめ自殺裁判に勝利するまで

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学校のいじめへのアプローチ2

  1. 2013/09/29(日) 13:17:41|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3
続きです。

以下引用と私見(青色)
さて、最近山本修司さんが編集された『いじめを絶つ!毅然とした指導3』(教育開発研究所)という、2012年に刊行された本を読みました。この本の副題は、「子どもの命を守った現場教師たちの実践」で、豊富な具体例をあげていじめ対策の実践が書かれています。異なった場所で発生したいじめのメカニズムと展開は、驚くほどよく似ています。

そして、山本さんは、「問題行動に対して『まずは彼らの心情や背景をじっくりと理解しよう』などというピント外れの指導観が教師間に激しく叱責されないことをいいことにして児童生徒たちのモラルが低下し、学校の規律は乱れ、いじめの指導も徹底できないという状況が生まれる」とし、「改善の方向性は、一部の教員や教育評論家が主張するような『受容的・共感的』な指導であってはならない。そのような指導では絶対に事態を好転することはできないからである。いじめを迅速に解決することはできないからである。いじめを迅速に解決するためには、『何があろうとも、ダメなものはダメ』という毅然とした指導が必要」(12頁)と述べられています。

(私見)「毅然とした指導」には、一定の同感を覚えます。ただこれは、別に新しいことではなく、体育系や生活指導の教師の得意としていることです。
街の中で交通警官が怒鳴っているかというとそうではなくて彼らはにこやかに「はいそうですね、9000円」といって違反者に交通切符を切ります。こういった社会ルールを守らせる違反と罰則で交通規制しています。
これは別にカトリックをどうこう言うわけではありませんが、私に知った範囲では少し前のカトリック教育は、定規を膝に挟んで座らせるなどの体罰を容認していたようです。また尻叩きも。
こういう怖れで矯正する方向はもうそぐわないでしょう。

私は、あなたのお子さんが悪い事をしたと保護者に通告することが良いと思います。それを担任ではなく、校長や教頭が行うべきだと思います。





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  1. 2013/09/30(月) 17:57:24 |
  2. URL |
  3. ベルナール
  4. [ 編集 ]
このいじめ事件は、「いじめの事実」を編年体にまとめると、その発生と展開が明確にわかりますね。

(引用始め)「* 2008年11月
同校の文化祭で明子さんの書道作品「元気な子」が金賞を受賞し、授業参観時に校内で展示される。
△数名の男子児童が「なんでよそから来たのが賞に入るんだ」と発言した。
* 2009年11月
(授業参観)
新里地区文化祭に出品した明子さんの絵「自画像」が佳作を受賞し授業参観で掲示された。
△数人の男子児童が「お前の絵が佳作、ありえねえ」などと言った。
△授業参観、男児a,dなどから言葉のいじめ受ける。
「お前のお母さんは、外国人か。なんで外国人なの。アフリカ人だ。ゴリラ見たことあるの?。黒人なのか。」
* 2010年5月 (いじめが悪質化する)
△みんなで明子さんを無視する、「フィリピン外国人の娘」と言う。
9月18日 (新里東小運動会)
明子さんはリレーの選手に選ばれる。
△数人の男子生徒が「外国人は足が速い」「ゴリラは足が速いんだ」と言っていた。」(引用終わり)

1) 同じクラスの児童たち → 「ヨソモノ、外国人」は劣位にいて当然という意識
2) 明子さんが美術と体育において卓越した能力を示す → 太刀打ちできない故の嫉妬、ねたみ
3) 「外国人は足が速い」「ゴリラは足が速いんだ」→ 卓越性の根拠として「外国人」性を捏造し、身体特徴によって有徴化

この差別と偏見の展開を追っていくと、明子さんがいじめの標的にされたのは、級友たちと比べて「劣った存在」だったからではなく「優れた存在」だったからということがよくわかります。本件の特徴は、このジェラシーとレイシズムの緊密な結び付きであり、他のいじめ事件と著しく異なった特徴がここにあります。

  1. 2013/09/29(日) 15:39:43 |
  2. URL |
  3. ちゃりこ父
  4. [ 編集 ]
基本的に奴らは、毅然とする、ということの意味や、寛容、ということね意味をはき違えていたり、あるいはわざとすり替えていくからね。

嘘をついてでも、何事も起こっていないかのような、悪いことをしても認めないとか謝らないとか、それを、毅然とする、ことだと思っているし。
寛容、というのも、極悪非道な自分達、無能で何もできない何もしない自分達に対して寛容でいてね、抑えられないいじめ加害者に対して寛容でいてね、ってことだから。
そして、おとなしかったり真面目だったり、従順な子供に対しては寛容ではない。威圧的に威張り散らす。

  1. 2013/09/29(日) 13:38:34 |
  2. URL |
  3. ベルナール
  4. [ 編集 ]
引用「『毅然とした指導』には、一定の同感を覚えます。ただこれは、別に新しいことではなく、体育系や生活指導の教師の得意としていることです」

そういう体育会的な指導とは相当違います。それほど高い本ではないので、ぜひお読み頂きたいと存じます。

* 山本修司編集『いじめを絶つ!-- 毅然とした指導3』教育開発研究所、2012年 ISBN 978-4-87380-626-6

引用「これは別にカトリックをどうこう言うわけではありませんが、私に知った範囲では少し前のカトリック教育は、定規を膝に挟んで座らせるなどの体罰を容認していたようです。また尻叩きも。こういう怖れで矯正する方向はもうそぐわないでしょう」

それは「少し前」ではなく戦前とかの話ではないですか。個人的には、そのような話は聞いたことがありません。

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