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桐生市いじめ自殺裁判  勝利の記録

桐生市いじめ自殺裁判に勝利するまで

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いわゆる知識人あるいは非生産的階級のモラルについて

  1. 2013/10/01(火) 17:58:16|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4
今の日本で知的な権威とされていた人々、彼らこそが様々な問題の元凶ではないのか。
という疑念に私はずっと捉えられています。

これは、高校、大学、様々な職場、医療過誤事件、いじめ自殺事件、原発問題
等々を考察してもこの疑念は払えないのです。

いわゆる無知ゆえの罪、貧困ゆえの罪も見ました。それらはほとんど小悪で
それこそ、ベルナールさんのいうような啓蒙や、信仰等で解決できることも多いと思います。
しかし、現代の問題はそれよりも「国家」という無機質でありながら、人々の祖国愛や犠牲精神に訴え
命をも奪えるリバイアサン(怪物の意味)と、税金の使用権をかすめ取る官僚と(カッコつき)の専門家によって、見えない不正、合法的な非合法(実は)がまかり通っているのではないでしょうか。

だから、教師という役人(しかも小役人)の本能は自己保存、保身、という計算であって、これはモラルとは呼べないものではないでしょうか。

追記:ベルナールさんのコメントの一部分を受けて「知識人」という言葉は、「専門家や資格所有業務者」という風に変えたいと思います。

しかし、まだもって勉強ができて知識や学歴で食べている人を含んだ概念です。彼らは、「計算高い」「心よりも頭で計算して行動する」特性を持っています。こういう人は近代的合理性に長けているのでしょうが、人の不幸も気にしない冷たさを持っていると思います。
だから、いわゆる知性と徳の高さは比例するのではなく、徳はむしろ良心、情念の方にあると冠得るのです。
これは、ドストエフスキー的と言えるかもしれません。
戦後活躍した、日本やフランスの知識人一連よりも私は個人的には「1984年」のジョージ・オーウエルの慧眼を買っています。
それから、この事件は、レイシズムの側面はもちろんありますが、むしろ刑法の犯罪事件と同じように個別的に捉えて、真相を解明するべきだと思います。宗派的な理由や政治的な目的で運動に参加する人は、ひいきの引き倒してきな側面もあり、現に弁護士を解任するとある傾向の人々は潮が引くように去って行きました。
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  1. 2013/10/02(水) 16:51:28 |
  2. URL |
  3. 市民の会
  4. [ 編集 ]
市民の会は党でもなく、NPOでもなく、連合体や協議会でもないので、裁判を支援し、原告をサポートし、いじめをなくし、隠蔽を明かす人が、それぞれぞれのポジションで「そちらがわ」を向いて
行動すればいいと思います。
お互いに意見交換をするのはいいと思いますが、イニシアチブはあくまでも原告の意志と代理人の裁判活動です。
会としては、カンパ(原告口座)などを広げることを期待していますが、世論を変えるのは裁判で勝つことが何よりで、権威によって左右される世論はあまり期待していません。
あくまで「それぞれの場所でできること」で良いと思います。
またブログ記事も市民の会の1私人の意見が述べられている場合があることをご理解ください。

  1. 2013/10/02(水) 08:13:27 |
  2. URL |
  3. ちゃりこ父
  4. [ 編集 ]
他人を管理、支配しようとするもの。諸悪の根源。

  1. 2013/10/01(火) 19:17:05 |
  2. URL |
  3. ベルナール
  4. [ 編集 ]
(提案)
ご存知かも知れませんが、以下のサイトに日本のいじめ事件がまとめられ、関連する日本語のリンク集もあります。もちろん、桐生の事件のことも載っています。“Gov’t to launch survey on school bullying after 12-yr-old girl’s suicide” という記事です。

* Bullying | Children First Blog
http://kwbrow2.wordpress.com/category/bullying/

そこで、提案なのですが、このブログに桐生事件やいじめ対策等のリンク集を設けるというのはいかがでしょうか?

*「12歳 命のメッセージ」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/feature/maebashi1288626975446_02/index.htm

*「きょういくブログ」
http://edugarden.blog50.fc2.com/?tag=%E6%96%B0%E9%87%8C%E6%9D%B1%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1

  1. 2013/10/01(火) 18:55:08 |
  2. URL |
  3. ベルナール
  4. [ 編集 ]
ブログ主さんのおっしゃっているのは、例えば「原発安全論」などを説いていた、いわゆる「御用学者」のことではないでしょうか?「高校、大学、様々な職場、医療過誤事件、いじめ自殺事件、原発問題等々」に関連するものとなると、これは教員や専門職の職業人というべきものであり、一般に「知識人」という言葉は、「専門的な知識がある人」という意味には使われません。

「知識人」(intellectuel)という言葉は、19世紀末のフランスの冤罪事件であるドレフュス事件のとき、国権を擁護する立場からアルフレッド・ドレフュス大尉を陥れた右翼から、「自分の関係ないことに言及する教養人」ぐらいの意味の貶下語として使われたものです。

日本でわかりやすい例を挙げるなら、「ロッキード事件」における立花隆とか、「狭山事件」における野間宏、鎌田慧などの役割がそれにあたり、ご指摘の「人々の祖国愛や犠牲精神に訴え命をも奪えるリバイアサン(怪物の意味)」に対して批判的検討を加えるのが「知識人」の役割です。

桐生の事件は、発生当時からフィリピンやベトナムなどアジア諸国に報道されています。レイシズム(人種差別、民族偏見)に始まったこの事件における学校や教育委員会の不手際は、日本の国際的信用を失墜させ、アジア諸国との友好関係に亀裂を入れかねない事態を招いていると思います。多くの場合、数ある学校のいじめ事件として扱われていますが、日本のジャーナリズムは、グローバル化によって日本で猖獗を極めている排外主義の端的なあらわれであるという視点が決定的に欠けていると思います。

http://www.xaluan.com/modules.php?name=News&file=article&sid=220342

この事件における責任逃れや隠蔽を暴くためには、私はむしろ「知識人」の援護射撃を期待したと切に感じております。

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