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異文化の問題か? 日本の教育思想

  1. 2013/10/14(月) 21:42:22|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
本日、東京都下のダウン症児保護者から話を聞いた。

その学校で、A君がIという教師にひどい叱責を受けていたのにラテン系(カトリック)母親は
強いショックを受けた。

A君はメキシコの、特殊教育学校で教育を受けたという。
その学校では4,5人の生徒に教師がいて、ダウン症や自閉症、その他の子供が
混じっていた。一般にダウン症の子は対面で愛想が良く攻撃的ではないが、
他の症状の子供はときに愁訴不定になって、他の子に攻撃的になること
もあるという。
そのときこの教師は攻撃的な子を抱きしめて感情をなだめる。
そのような意味で話をしたつもりだった。

すると日本の教師は「それは文化の違いだ」と言ったという。

これは果たして文化の違いだろうか?
愛情の違いではないか・
そして日本の公教育が持っている教育観を如実に示すものではないか。

国や労働界に役に立つ人間を作る。
「役に立たないものは」怒鳴りつける。
このような教育観を持っているのではないか。

また一方で、福祉の名のもとに、専門性を持たない教師たちが、2週間の」簡単な研修で免許を得て、
ある年数勤めれば、「主任、主幹、副校長、校長」などの職名をねりだし、」税金をかすめ取るのに利用しているのではないか。

このことについて、読者のみなさんの意見と知見を教えてください。
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  1. 2013/10/15(火) 06:32:09 |
  2. URL |
  3. ベルナール
  4. [ 編集 ]
ご指摘の点で、肝要だと思われるのは、「専門性を持たない」というところで、現在の教職課程のカリキュラムに含まれているような短期の研修ではなく、養護学級の教員の養成のために、医学部と協力して、専門的な知見の精緻化が図られなければならないと思います。併せて重要と思われるのは、明治初期から「ゆとり教育」まで貫徹していた優性学的発想の一掃でしょう。

「日本の教育界における優性学の受容と展開」(1)

福沢諭吉といえば、誰しも『学問のすゝめ』の天賦人権論を想起するだろう。しかし、同書の3年後の1875年(明治8年)6月に書かれた「國権可分の説」には、「百姓車挽の學問を進めて其気力を生ずるを待つは、杉苗を殖へて帆柱を求めるが如し」と下層階級をさげすみ、「『ニウトン』は亜米利加の内地に誕生す可らず。蝦夷の土人は『アダムスミス』を生むこと能わず」と主張し、その理由を「人間の智力は其體力に等しく世々に伝えざれば進む可きものに非ず。性理に於て明白なり」と述べている。つまり、「人間の智力」は体力同様に遺伝するものであるという、『掌中萬國一覧』と同様の人種主義的発想を披瀝しているわけである。

「人の能力は天賦遺傳の際限ありて、決して其の以上に上がるべからず」という福沢的な「系統論」からすれば、極貧家庭から世界的な学問業績を達成することはあり得ないわけだが、福沢の主張の馬鹿げていることは、子供でも知っている野口英世(1876-1928)の例を一つ挙げればわかるだろう。

1888年(明治21年)になっても、「遺傳之能力」において、福沢は「北海道の土人の子を養て之を学ばしめ。時を費やし財を捐てゝ辛苦教導するも、其成業の後に至り我慶應義塾上等の教員たる可らざるや明なり。蓋し其本人に罪なし、祖先以来精神を錬磨したることなくして遺伝の智徳に乏しければなり」と述べている。福沢によれば、アイヌ人は遺伝形質が劣っているのだから、時間や金を費やして教育しても慶応の上等の教員にはなれないそうである。

さて、教育課程審議会会長だった三浦朱門は、魚屋の息子で「中央官庁の局長」になって「全然楽しくない、魚屋をやらせておけばよかった」と愚痴る母親の不幸を例に挙げ、ジャーナリストの齊藤貴男のインタビュー(『機会不平等』2004)に対してさらにこう答えている。

「学力低下は、予測しうる不安と言うか、覚悟しながら教課審をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまりできん者はできんままで結構。戦後50年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を。できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」。

先の論説のなかで、福沢は、「人民一般に普通の学を奨励して之を智徳の門に入らしむの傍に、良家の子弟をば特に之を撰て高尚に導き、其遺伝の能力を空ふする無からんことを我輩の最も希望する所なれ」と述べている。つまり、福沢と三浦では、「蝦夷(北海道)の土人」のところが「魚屋」にかわっただけで、「百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張ってい」くであろうエリートを育成し、後は「普通の学」だけを学んでおけばよい、元々素質のない者を教育しても、時間と金と無駄だというわけである。両者の社会ダーウィン主義的見解は、優生学的イデオロギーにもとづいている。1980年度の学習指導要領から施行された、いわゆる「ゆとり教育」が、1990年代を通じて猖獗を極め、小学校から高等学校まで日本の教育現場を荒廃させている最中、すなわち日本の経済から教育に至るあらゆる分野が弱肉強食の市場原理に席巻されようとしていた1984年(昭和59年)に、最高額紙幣に福澤諭吉の肖像が採択されたのは、決して偶然ではないのである。

「日本の教育界における優性学の受容と展開」(2)

ナチスというとわれわれはユダヤ人虐殺ばかりを想起するが、ナチスが犯したもう一つの犯罪は、ドイツの優性学と精神医学と提携した、不治不能の心身障害者の「安楽死」計画(T4作戦)であろう。

この戦慄すべき計画は、第一次大戦が終結して、ヴェルサイユ条約の批准が行われた1920年(大正9年)に、障害者の「安楽死」を唱える一冊の本が出版された。ライプチヒ大学の法学部教授のビンディング(Karl Ludwig Lorenz Binding, 1841-1920)とフライブルク大学の医学部教授のホッヘ(Alfred Erich Hoche, 1865-1943)による共著『生きるに値しない生命の抹殺の規制解除』(1920)を刊行した。

同書のなかでホッヘは「精神的には死んでいる者」(geistig Toten)である不治の精神障害者が国家の財政を圧迫する経済的負担になっていると述べ、ビルディングはこの経済原理にもとづく考え方から、以下のように断言する。

「何千人もの貴重な青年たちが戦死し、何百もの勤勉な炭鉱労働者が爆発事故で生き埋めになっている一方で、精神病院の入院患者が手厚い看護を受けている。-- つまり、もっとも有用な人材が犠牲となり、もはや何の価値もない人間がのうのうと看護されている。われわれは、このような極端な矛盾に強い衝撃を受ける」。

ユダヤ人の虐殺に先立ち、ドイツでは、優生学的発想から遺伝的疾病を持っていると見なされた「生きるに値しない生命」の抹殺が議論されていたことを知る人は少ない。

そして、金髪・碧眼・長身の北欧系民族を集めて、雑婚によってナチが理想とする人種を創造することを目的とした「レーベンスボルン」協会は、ニュルンベルク法、すなわち「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」が制定された同じ1935年(昭和10年)に設立されたのである。

先の大戦前、日本でももナチス優生学の影響から日本でも「国民優生法」(1940)が制定され、当時は遺伝疾病と考えられていたハンセン病(癩病)患者をはじめ、1941年から1947年までの間に538件の断種手術が行われ、「其体質の弱くして心の愚かなる者には結婚を禁ずるか又避孕せしめて子孫の繁殖を防ぐ」という福沢の念願が実現した。この優生学的発想は、戦後の「優生保護法」(1948年7月13日)にまで持ち越されていることはよく知られているだろう。
先の『機会不平等』には、教育改革国民議会座長でノーベル物理学賞受賞者の江崎玲於奈(1925-)に対するインタビューも掲載されており、2000年(平成12年)6月下旬、に齊藤に対して、こう答えた。

「遺伝的な資質と、生まれた後の環境や教育とでは、人間にとってどちらが重要か。優生学者はネイチャー(天性)だと言い、社会学者はノーチャー(育成)を重視したがる。共産主義者も後者で、だから戦後の学校は平等というコンセプトを追い求めてきたわけだけれど、僕は遺伝だと思っています。これだけ科学技術にお金を投じてきたにもかかわらず、ノーベル賞を獲った日本人は私を含めてたった五人しかいない。過去のやり方がおかしかった証拠ですよ」。

明治の初期から今日に至るまで、日本の教育において主導的役割を果たして来た学者たちが、優生学にもとづく社会ダーウィン主義的見解を公然と主張していたことには、誰しも慄然とせざる得ないだろう。

  1. 2013/10/14(月) 23:28:13 |
  2. URL |
  3. ちゃりこ父
  4. [ 編集 ]
「文化の違い」という言い訳をこいているボケを「愛情の違い」だろ、と突っ込む方向性は間違っていないと思うけれど、少し突っ込みが優しすぎるのではないかと思う。
私は「生き物の違い」だと思う。
この国の教育関係者は長きに渡って偉そうにしてきたり、ちやほやされてきたせいで腐りきってしまった。
私の理論では「教育関係者とは“卑怯者”という別種の生き物である」と規定している。
すなわち、奴らは“生物学上と法制上のみ”でだけ、我々と同じ生き物なのであり、心の通った人間ではないのである。
その特性は、子供の命よりも、学校組織の体裁を大切にする、ということに集約される。

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