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桐生市いじめ自殺裁判  勝利の記録

桐生市いじめ自殺裁判に勝利するまで

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討論歓迎 階層的分析コメントへのコメント

  1. 2013/10/18(金) 09:10:56|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4
いじめ問題階層別分析へのコメントにコメントします。

□ちゃりこ父さん
市民の会さんの、この分析、ほとんど異議はありません。 私の言葉が市民の会さんより、多少(いいですか、多少、ですからね)荒く、大雑把なのは、分析したり評論したり傍観したりする大人向けではないからです。
●私は分析は好きですが、傍観者ではありません。いじめ対策に踏み込んで実践していてます。
ちゃりこと私の経験を踏まえ、自分達がいちばん追い込まれたとき、もっともっと追い込まれ殺された人たちのことを念頭において、私は語っています。
●追い込まれた人や被害者、被害者家族の気持ちをこの場でもさらにお聞きしたいと思います。
福沢諭吉やアダムスミス、ニュルンベルグ法は、知ってはいても、苦しんでいる子供や親の役に立たないことを実感としてわかっています。
●「福沢諭吉やアダムスミス、ニュルンベルグ法」どういう脈絡かわかりませんが、ベルナールさんのコメントをさしているのでしょうか。

ベルナールさん
○概ね賛成なのですが、1〜8までの分析では、いじめという問題と事後の学校や教育委員会の対応の問題等々が混在しているので、これは本来別個に論じられるべきものではないかと存じます。
◎問題の混在は認めます。
● 実施教育行政レベルの問題。主に県単位で、体力づくり、エリートづくり、学校ビジネスへの組み込み。無意味な教育委員会または教育委員会の骨抜きという政策。PTAを名誉職化して学校に組み込む。地域や市町村教育委員会、教員組合の問題。地域ボスと結びつき教員人事やPTAなどを支配する黒い裏世界。組合幹部とのなれ合い。生徒の被害よりも身内の保身を優先させる労働組合の体質。行政寄りの司法、悪徳弁護士との裏取引。教育委員会や各種学校などの天下り先をせしめる校長たち。教育委員会や各種学校などの天下り先をせしめる校長たち。
○ 「無意味な」「骨抜き」「黒い裏社会」「なれ合い」「保身」「悪徳」「裏取引」「天下り」等々の言葉が除去されればご指摘の通りだと思いますが、それは一般企業でも同じことで、特に「実施教育行政」の弁別特徴にはならないと思います。
◎ 「無意味な」「骨抜き」「黒い裏社会」「なれ合い」「保身」「悪徳」「裏取引」「天下り」等々の言葉が重要だと思います。実は市民社会の体裁をとって、名士面している官僚や専門職が、金銭や保身目当てで違法行為や破廉恥な行為をしている腐敗構造が問題でこういったことの浄化行為こそが民主主義の機能だと言いたいのです。

● 担当教諭の資質の問題。力任せの体育教師や生徒指導で脅しと権威でのしあがり学校を牛耳る教師。学級王国や合唱コンクール、陸上成績、部活動勝利至上主義で生徒を飼いならし、自己顕示欲を満足させる教師。普通の生活を知らず、「先生」の権威にすがり人間的資質も学力もない教師。
○ 学校にはご指摘のような問題もあるかと存じますが、とにかく、学校にいじめが発生し、それを苦にして死を選ぶなどという悲しい出来事に比べれば、どうでもいいような問題であり、各人各様に考えればよいと思います。
◎これらはどうでもよい事ではなく、選んで入学したのでもないのに、生徒本位よりも教師本位の自己満足でふりまわされることは、市場原理で買いたいものを買うことからさえ疎外されているのが日本の現状でしょう。

○しかし最後の点に関しましては、今回の桐生での事件のことを考えましても、明確に異議がございます。まず「普通の生活」とは、書き手が「普通」と考えている生活であり、他者に強要すべきことではないと思います。
◎「普通の生活」というのも、私にとっては重要な概念で、「学校」という擬制社会が市民社会から隔離された社会であり、そこで働く教師も「身分を保障され、権威によって命令する特殊な人間」なのです。これは刑務所の人が言う「娑婆」と同じようなもであり、またデューイのいうインフォーマルな教育という考え方と照応するものです。
「学校を疑う」というブログのカテゴリーも、近代の日本人が人生の大半を無味無色の温室栽培で甘んじている不思議を問うているわけです。もっともこの温室は最近細菌がばらまかれたより危険になっています。

○2010年の1学期 ―中略ー 小中学校では、児童生徒に共通のルールを守らせ、規範意識を身につけさせるために極めて重要なものだと思います。明子さんの担任教諭は悪人ではないでしょう。むしろ、優しい良い人だったからこそ、生徒たちがルールを守ることをせず「学級崩壊」に至り、それが「いじめ」の温床になったのだと思います。まさに、「地獄への道は善意で敷き詰められている」ということの実例ではないでしょうか。
◎、「地獄への道は善意で敷き詰められている」これは言葉に酔っていると思います。
学級に市民社会と同じルールを徹底する。違反者は罰せられる。これで良いと思います。
ただ根本的にベルナールさんは、教会で信者が牧師に率いられる静寂な空間を学級に期待していると思われます。これは嗜好の違いもあると思います。しかし江戸時代の寺子屋の絵を見ても生徒はいたずらしているのもいれば鼻たらし小僧もいたわけで多様性はいいのです。

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Re: タイトルなし

  1. 2013/10/18(金) 11:01:18 |
  2. URL |
  3. 市民の会
  4. [ 編集 ]
記事の牧師は神父に書き換えます。ご了承ください。

  1. 2013/10/18(金) 10:47:11 |
  2. URL |
  3. ベルナール
  4. [ 編集 ]
ブログ主さん、こんにちは。

◎ 「無意味な」「骨抜き」「黒い裏社会」「なれ合い」「保身」「悪徳」「裏取引」「天下り」等々の言葉が重要だと思います。実は市民社会の体裁をとって、名 士面している官僚や専門職が、金銭や保身目当てで違法行為や破廉恥な行為をしている腐敗構造が問題でこういったことの浄化行為こそが民主主義の機能だと言いたいのです。
△ これは、記述と言論の信憑性の問題ではないでしょうか。あらかじめ価値判断を含んだ貶下語(pejorative)が枚挙されると、同じ価値判断を共有しない者を片端から排除するようなものであり、読者があまりにも配慮されていないのではないのでしょうか。分析的な言語で記述できるはずであり、「無意味な」「骨抜き」「黒い裏社会」「なれ合い」「保身」「悪徳」「裏取引」「天下り」等々、一ダースあっても二ダースあっても、書き手は「立腹しているんだなあ」程度の印象しか読者に与えません。つまり内容的に無意味なので、飛ばして読むしかなく、ヴォルテールの「形容詞は名詞の敵」という指摘は至言だと思います。「無意味な」という形容詞は、「被修飾語が無意味」ということを自明の前提としているわけで、これは価値判断の強要であり、まったく「民主主義的な機能」を果たしていないと思います。

◎これらはどうでもよい事ではなく、選んで入学したのでもないのに、生徒本位よりも教師本位の自己満足でふりまわされることは、市場原理で買いたいものを買うことからさえ疎外されているのが日本の現状でしょう。
△ 小中学校の公教育は、欧米でも日本でも、そのようなものだと思います。だからこそ、光村なり東京書籍なりの共通教科書で縛られているわけで、何か特定の「方向付けられた」学習内容を期待するなら、私学を選ぶべきだと思います。東京では、区によりますが、公立の小中学校は選択制である場合が多いので、複数校から選択可能です。群馬県あるいは桐生市がどうかはわかりませんが、指定制なら選択制に移行した方がよいと思います。

ここで、問題になるのは費用ですが、世界中で高額な学費が必要なのは、英国とアメリカ、日本と韓国など少数であり、西欧先進国では、大学教育までタダ同然(独仏は、年間一万円程度)であることを、多くの日本人が知りません。国連は、特に先進国に高等教育の無償化を勧告していますが、日本は条約を批准していません。

http://gigazine.net/news/20110416_university_cost/

◎「普通の生活」というのも、私にとっては重要な概念で、「学校」という擬制社会が市民社会から隔離された社会であり、そこで働く教師も「身分を保障され、権威によって命令する特殊な人間」なのです。これは刑務所の人が言う「娑婆」と同じようなものであり、またデューイのいうインフォーマルな教育という考え方と照応するものです。「学校を疑う」というブログのカテゴリーも、近代の日本人が人生の大半を無味無色の温室栽培で甘んじている不思議を問うているわけです。もっともこの温室は最近細菌がばらまかれたより危険になっています。
△ 学校とは、そもそも本来「勉強」をする人工的に造られた場所であり、ブログ主さんには「釈迦に説法」になりますが、「スクール」(スコレー)つまり閑暇がある者が勉強する場所なのですから、「擬制」「隔離された社会」であるのは当然です。また、教員が「身分を保障され、権威によって命令する特殊な人間」であるは、「学校教育法施行規則」(最終改正:平成24年3月30日文部科学省令第14号)を初めとする教育関係諸法の規定に基づいているのですから、これまた当然でしょう。「近代の日本人が人生の大半を無味無色の温室栽培で甘んじている」という発想は、嫌々生かされていることが前提になっておりますが、「近代の日本人」の大半がそうは思っていないので存続しているのでしょう。

◎「地獄への道は善意で敷き詰められている」これは言葉によっていると思います。学級に市民社会と同じルールを徹底する。違反者は罰せられる。これで良いと思います。ただ根本的にベルナールさんは、教会で信者が牧師に率いられる静寂な空間を学級に期待している と思われます。これは嗜好の違いもあると思います。しかし江戸時代の寺子屋の絵を見ても生徒はいたずらしているのもいれば鼻たらし小僧もいたわけで多様性はいいのです。担任教師は悪がきのいるクラスを持たされ、回避した教師や自分が満期退職することだけ考える校長といったずるい教師たちにはめられたのでしょう。
△ まずどうでもよいことですが、「牧師」とはプロテスタントの聖職者を指す言葉であり、カトリックでは「神父」(司祭)と申します。最後の点に関しましては、わかりません。このブログは、おそらく被告側の弁護士等も見ているでしょうから、とにかく現在係争中の案件に関して、憶測でものを言われるのはいかがなものかと存じます。例えば、コメント欄にも「こういうガキしか育てられない親って、極刑でもいいと思うよ」などの書き込みがありますが、大変不都合なことだと思います。ほんのわずかでも触法(名誉毀損、風説の流布、威力業務妨害等)の蓋然性のある記述は、ブログ主さんのご判断で削除された方が良いのではと愚考致します。こういう点に関しましては、どれだけ慎重を帰しても慎重すぎることはないと思います。

  1. 2013/10/18(金) 09:58:34 |
  2. URL |
  3. ちゃりこ父
  4. [ 編集 ]
追記・もちろん、尾木直樹のほうがはるかに低いレベルで、ということですよ。

  1. 2013/10/18(金) 09:56:25 |
  2. URL |
  3. ちゃりこ父
  4. [ 編集 ]
真意が伝わっていなかったようですね。

市民の会さんのことを「傍観者」などとは思っていません。
私が言っているのは、市民の会さんの分析がは、うまく届いても「傍観者」たちまでだ、ということです。
レベルは違いますが、尾木直樹のメッセージは「傍観者」PTAに感心はされても、生きるか死ぬかで苦しんでいる子供を救うことはできないだろう、そういうことです。

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