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桐生市いじめ自殺裁判  勝利の記録

桐生市いじめ自殺裁判に勝利するまで

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両面作戦 いかに教育官僚(小役人)と戦うか

  1. 2013/10/19(土) 23:20:27|
  2. 市民の会の意見
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:5
日本の教員もその出先の教育公務員も実は何らかのべースがない。
宗教的教養もないし、人権意識もない、時に子供を愛する教員はいる。

しかし、メインは中間層(実は中の下)も素養で中の上の収入と名誉が欲しい連中である。
それを打ち砕くにはどうしたらよいか。

それは両面作戦であると思う。(それがいいと思う)
つまり第1は彼らの人権意識、子供本位の意識が希薄なところを徹底的につく。

第2はいかに専門性が低いか、遵法意識が低いか。教育や教科についての知識が低いかを
突くことだと思う。
このブログのちゃりこ父さんとベルナールさんのコメントはその両者だと市民の会は考えている。


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  1. 2013/10/24(木) 21:36:03 |
  2. URL |
  3. ◎→★△×
  4. [ 編集 ]
1)人権意識、子供本位の意識が希薄
2)専門性が低い、遵法意識が低い
    ・・・・・・・・・・・・
クルマの運転者そのまんまに当てはまりますねw

学校もクルマ社会も似たようなもんですよ。失礼、私は運転免許を持たないが故に就労に於いて不利な扱いを受け、そのためにクルマ社会に異議を唱えている者ですが…少数派inの方が却って居心地がいいんですけどね。
それはそうと、今週の10月27日(日)8:30から大阪城公園の教育塔で『教育祭』が執り行われるという情報を入手しました。大阪府警本部側から見える密林の中に忽然とそびえ立つマヤ・アステカやボロブドゥールの古代遺跡みたいなのがそれです。
前日の26日(土)13:30~あべのベルタ阿倍野市民学習センターで『教育塔を考える会』という教育塔を“靖国”呼ばわりしている団体の学習会(会費千円)があります。曜日にヒマな人おいで下さい。ただ、彼らの中にも現役教師はいますが日の丸君が代強制に反対している人間ですから一応は信用はできますよ。

  1. 2013/10/23(水) 23:40:39 |
  2. URL |
  3. お友達
  4. [ 編集 ]
今日は明子さんの命日でした。
あなたの事いつまでも忘れません。

  1. 2013/10/23(水) 16:39:15 |
  2. URL |
  3. ちゃりこ父
  4. [ 編集 ]
彼女の命日は、事由があって、忘れることはないと思う。
綺麗事を言うつもりはない。
忘れられないから、忘れてはいけない、とも思う。
忘れないでいることくらいしかできないのかもしれないよね。
祈。

  1. 2013/10/20(日) 21:35:33 |
  2. URL |
  3. ベルナール
  4. [ 編集 ]
ご命日が近いので本日、所属する地元の教会のミサで明子さんのご冥福をお祈りしてきました。

群馬県には行ったことがないのですが、かつて明子さんの追悼ミサが行われた「桐生カトリック教会」が、この問題に無関心とは思えません。

「神に従う人の魂は神の手で守られ、もはやいかなる責め苦も受けることはない。愚か者たちの目には彼らは死んだ者と映り、この世からの旅立ちは災い、自分たちからの離別は破滅に見えた。ところが彼らは平和のうちにいる。人間の目には懲らしめを受けたように見えても、不滅への大いなる希望が彼らにはある主に依り頼む人は真理を悟り、信じる人は主の愛のうちに主と共に生きる。 主に清められた人々には恵みと憐れみがあり、主に選ばれた人は主の訪れを受けるからである。神に喜ばれていた人がいた。彼は神から愛され、罪人の中で生活していたとき、天に移された。悪が心を変えてしまわぬよう、偽りが魂を惑わさぬよう、彼は天に召された。」(「知恵の書」3-4章より)

*「知恵の書」
http://www.emmanuen.info/index.php?option=com_content&view=article&id=99&Itemid=109
* カトリック桐生教会(さいたま教区)
http://www.saitama-kyoku.net/our_activitis/past_events/2011/index.cgi?mode=main&cno=163
* Norisan’s Travel Diary and Opinion
http://norisann.blogspot.jp/2010/10/12.html

  1. 2013/10/20(日) 15:54:55 |
  2. URL |
  3. ちゃりこ父
  4. [ 編集 ]
1・徹底的につく。

これはもちろんやるべきです。
でも、今までたくさんの学校被害者が生まれ、たくさんの戦い方をしてきたはずなんだよ。
でも、ちっとも変わりゃしない。
教師個人とか、教育委員会の中の個人とかで葬り去られたのはいるだろうけど、そんなのはトカゲのシッポ切りにすぎない。
体罰や隠蔽に厳しくなっていくように表面上は見えるかもしれないけれど、意識を変えさせなければ同じ。罰せられるハードルの高さが変わるだけで、内実は同じまま。「許してにゃん」と児童に言わせた広島の教師なんて、きっとおとがめなしだろうね。
司法で戦う?
否定はしないよ。
でも、日本の司法は個人対行政組織だとどうするか、判りきっているよ。
公害病や薬害エイズみたいに、被害者が多数の場合は別だけど、学校被害者の場合はあくまで、各地のひとつひとつの件が別のものとして分散されてしまうんだ。これは文部科学省の策略なんだよ。教育委員会の二重行政と同じく、文部科学省が学校に関して責任を持たないための策略なんだ。そのために教育委員会が存在しているといっていい。
本来は、「こんなに酷く無責任な学校制度、教育委員会制度を放置してきた」として、文部科学省こそがやり玉にあげられるべきなんだよ。だから、ハード面では文部科学省が隠れ蓑に使っている教育委員会制度をぶち壊さなければ、同じことは絶対に繰り返される。
そして、意識の変革は教育関係者側からは生まれえない。
だから、私は説いているんだ。
教育関係者を軽蔑の対象にするべきだってね。本来、職業に貴賤なあってはいけないと思うよ。でもね、長きに渡って威張り散らし、都合が悪くなると嘘、隠蔽を繰り返してきたこと。そして、冷静に考えれば、年端のいかない子供にものを教えるだけの職業であり、親が多忙だから委託されただけの職種である、ということ。
意識の改革は、教育関係者以外の人間が教育関係者を見る、その見方を変えていくしかないだろう。
長くなったので
2 については機会があれば、また。

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