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桐生市いじめ自殺裁判  勝利の記録

桐生市いじめ自殺裁判に勝利するまで

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お友達さんのコメント

  1. 2013/10/24(木) 00:04:53|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8
今日は明子さんの命日でした。
あなたの事いつまでも忘れません
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  1. 2013/11/10(日) 16:30:08 |
  2. URL |
  3. ベルナール
  4. [ 編集 ]
「遅ればせながらも高まりつつある人権意識」

2010年10月に群馬県桐生市で起きた明子さんのいじめ自殺した問題を受けて、文部科学省が全国の公立学校でのいじめ対策の取り組み状況の把握を進めるな ど、学校側の問題意識が高まるなか、法務省が翌年に調査した結果によると、「いじめへの学校側の対応が不適切だったとする内容のものが前年の1.5倍の2,714件に達した」(『朝日新聞』2011年3月11日付)と報道されました。

「いじめ」そのものも、もちろん等しく学ぶ権利を定めた「教育基本法」に違反する行為ですが、それに学校側が適切な対応をとらなかったこともまた、重大な「人権侵害」であると法務省は考えています。子供たちが「いじめ」にあっているのに、学校側が適切な事態の改善策を講じない場合は、以下のサイトの「人権侵犯親告シート」に内容を書いて、法務局に調査を依頼することもできます。しかし、このような案内ページがあることさえ、大方の日本人が知らないでしょう。

* 人権擁護局フロントページ
http://www.moj.go.jp/JINKEN/index_chousa.html

多くの子供たちが亡くなった後、遅ればせながらも高まりつつある人権意識の高揚も、先の新聞報道にあるように、明子さんがまだ「12歳の命」を賭けてのこした遺言の一つだと言えるでしょう。

  1. 2013/11/08(金) 07:28:05 |
  2. URL |
  3. ベルナール
  4. [ 編集 ]
「もの知り顔の評論家と教育の国家統制」

まず、以下の山谷えり子・参議院議員と評論家のジャーナリストの櫻井よしこ氏の対談「教育に国家観を取り戻せ!」における不登校に関する対談をご覧下さい。

http://www.yamatani-eriko.com/old/press/press25_3.html

この対談の恐るべき点は、学校への登校がもっぱら「国際競争力」といった国家利益の観点からのみ捉えられているおり、不登校の大きな原因の一つに「いじめ」があるという視点がまったくないことでしょう。

「すべてを子供の自主性に委ねてしまうのは、教育の放棄と無責任の裏返し」とか、「文学にもいろいろな条件をつけて排除して、子供たちに教えないし、読ませない。言葉そのものも難しいからといって教えない。そうして物事を考えるための素 材としての知識や情報が減っていけば、表現したくても、言葉がないからどう表現したらいいかわからないし、その言葉が含んでいる価値観や情操を理解できない」という主張は、まったくその通りだと思います。

しかし、この同じ主張も、そもそも教育というものが、子供の知的・道徳的成長を目指すものなのか、もっぱら国家利益に奉仕するために存在するか、軸足をどこに置くかによってものの見方はまったく違ってきます。

教育とは、本来子供たちが学齢に応じて人間や社会の見方を成熟させるためにあるのではないのでしょうか?それまで知らなかったことを知ったり、出来なかったことが出来るようになる学びは、誰にとってもうれしいものであり、その達成感は、さらなる知的探求に子供たちを導くでしょう。

まず、最初に国家利益があり、その国家利益に奉仕する道具として子供たちを考えるのは、出発点からして間違っているのではないでしょうか?ここで思い出されるのは、カントが『道徳形而上学原論』で述べた、「自身の人格ならびに他のすべての人の人格に例外なく存するところの人間性を、いつまでもまたいかなる場合にも同時に目的として使用し決して単なる手段として使用してはならない」という有名な命法です。子供たちを国家利益の道具として考えるのは、人間の尊厳を踏みにじり、人間を単なるモノとして扱うことです。

教育の本来の目的は、どの人間の人格も例外なく手段として扱うのではなく、子供たちが大人になったときに社会的操作の対象にならない批判的知性を構築するためにこそあるはずです。そうした「知恵ある人間」がつくられれば、結果的に社会も国家もより豊かなものになるでしょう。

子供たちが学校に行きたがらなかったら、まずその原因を探るべきで、この対談で物知り顔のジャーナリストのように、「なおす」べき病気と考えるのは、子供たちを国家利益の道具として考えているからでしょう。もちろん、社会が豊かになり、国家が繁栄することは良いことでしょう。しかし、それは子供たちが国家利益の道具として犠牲になることと引き替えでは、本末転倒というべきでしょう。

明子さんが学校に行きたがらなかったのは、「心の病気」が原因ではなく、学校に「いじめ」があったからです。「いじめ」とは、単に子供たちの心身を傷つけるばかりでなく、等しく認められている学ぶ権利を奪う重大な人権侵害です。学校側は、学ぶ権利が奪われた状態(いじめ)に放り込んで起きながら学べというのは、倒錯的な主張です。

明子さんが学校を休むたびにに、学級担任は、「また心の病気ですか?」と問いかけていますが、この教諭に、「学校に行くなら死んだほうがまし」と明子さんが述べるほど荒廃した学級状況を立て直すのが先という発想がなかったのは恐るべきことでしょう。明子さんの見舞った悲劇の一因は、不登校を一概に「なおす」べき病気と考える、本末転倒の誤った発想にあったと言えるでしょう。

  1. 2013/11/07(木) 09:32:06 |
  2. URL |
  3. ベルナール
  4. [ 編集 ]
桐生市の「学校区」について

桐生市では、「桐生市立小学校・中学校通学区域」が指定されていて、明子さんの旧居からは、一つの小学校しか選択できません。「指定学校の変更等について」という付記があり、この変更要件を緩和するか、物理的に通える複数の小学校から選択するというだけでも、「いじめ」の問題の減少につながるのではないでしょうか?

http://www.city.kiryu.gunma.jp/web/home.nsf/39f1c87d0d44690349256b000025811d/e5a804591bdfd2ac49256ae7001c8204?OpenDocument

この学校指定制は、もっぱら行政の都合でつくられており、「いじめ」問題以外の観点からも、物理的に近い学校があるのに、学校区の端境に自宅があってわざわざ遠くまで通わなくてはならないなどの不都合も生じるでしょう。すくなくとも、「いじめ」等の訴えがあった場合は、深刻な事態に至らない前に転校できるように弾力性を持たせるべきではないでしょうか。

  1. 2013/11/04(月) 14:56:49 |
  2. URL |
  3. ベルナール
  4. [ 編集 ]
「氷のやいば」のように突き刺さる言葉

2010年11月19日に行われた桐生市議会において、「この報告書を読んで、親が女児が自殺して5年の担任に連絡している。6年の担任は信頼されていないし、先生として無理だったのではないか?学級は荒れていた。他の先生は注意できなかったのか?横のつながりが不備であり、校長の管理責任があるのではないか?」というある議員の質問に対して、教育委員の一人は、「これについては、担任は不安を抱いていた。管理職に相談を持ちかけていた。しかし、対応できていたか、いなかったかは別である。校長に責任はあるし、担任にも責任はある」と指摘しています。

これとは、明子さんが在籍していた6年1組の学級経営にことで、「うつ病」を理由に担任教諭が不安を打ち明けているにもかかわらず、適切な対応をしていません。「親が女児が自殺して5年の担任に連絡している。6年の担任は信頼されていないし、先生として無理だったのではないか?」という先の議員の発言は、明子さん自身の発言に基づいています。

10月19日、20日と2日連続で学校を休んだ明子さんは、欠席の電話をするときに、「いじめの話はしなくていいよ。先生は何を言ってもダメだから」と、給食時にのけ者にされ、連日罵詈雑言を浴びせられるいじめを担当教諭が改善してくれることに絶望を明確に表明し、学校がいじめを認めた報告では担任以外の教諭が10月21日、明子さんが泣きながら訴えていたことを聞いていたことが明らかになっています(『読売新聞』2010年11月18日付)。

給食時に孤立したとき、明子さんは勇気を振り絞って声をかけましたが、「また今度ね」と断られました。そのことを訴えると、担任は「一人で頑張ってるね」と言ったといいます(『読売新聞』2010年11月18日付)。

「一人で頑張ってるね」… この言葉だけを採り上げると、一見励ましのように見えます。しかし、この言葉が発された文脈を考えて見て下さい。「指導力不足」(担任自身の言葉)によって崩壊し荒廃した学級のなかで、明子さんは、連日のように同級生から罵詈雑言を浴びています。しかし、そのことを泣いて訴えても、担任も校長も何もしてくれません。「一人で頑張ってるね」という言葉は、こうした状況のなかで発せられているのです。つまり、一見励ましに見える言葉は、これからも孤立状態に変更はないという現状追認の言葉として、氷のやいばのように明子さんの心に突き刺さったことでしょう。

これは、明子さん自身の言葉です。「いじめの話はしなくていいよ。先生は何を言ってもダメだから」。毎日いじめにあっているだけでも耐えがたいことなのに、本来こうした状況を改善すべき教員は何もしてくれません。孤立無援のなかで、明子さんは、「学校に行きたくない。行くくらいなら死んだ方がまし」と母親に訴えています。そして、その言葉通りのことを実行したのです。いじめによる孤立とその状況を改善してくれない教員たちへの絶望、それが明子さんを死へと駆り立てたのです。

明子さんが残した言葉は、この年齢にはまれな周囲への洞察力と自分の気持ちを言語化する優れた能力を示しています。そして、「学校に行きたくない。行くくらいなら死んだ方がまし」と思えるほどの学校に対する絶望感と孤独を胸にみずから死を選んだのです。

児童たちに書かせたアンケートに関しては、元校長への反対尋問で以下のようなやりとりがあったそうです。

(反対尋問) そのうち数十通で書きなおした跡がある。幾つか消した跡が読める。「明子さんは自殺しなくてもよかった。いじめた人は本当に最低。」「いじめられた時は本当に苦しかったでしょう。」
これはあなたたち教員が消させたのか。
(答え) 私は知りません。(注:自分が書いた報告書には、手紙を教員がチェックすることと書いてある)

何という電光石火の対応でしょう。このようなスピード感をもって「いじめ」にも対応していたら、明子さんは決して死ななくて済んだのではないでしょうか?

  1. 2013/11/04(月) 13:13:43 |
  2. URL |
  3. ベルナール
  4. [ 編集 ]
「桐生の事件に関するカトリック教会の見解」

さいたま司教区の谷大二司教は、桐生における事件が発生した翌年2011年の年頭のメッセージにおいて、新年の挨拶のあと、真っ先にこの事件に言及し、以下のような声明を発表しました。

「子どもたちを守るために」
昨年、10月に、わたしたちの身近なところで、小学生が学校でのいじめのなかで自死(自殺)するという事件が起こりました。わたしたちは亡くなったお子さん、そして家族のためにこころから祈りたいと思います。

この事件によって、各地で学校ではいじめの問題への取り組みが進み始めました。いじめがあってはならないと訴えることも大切ですが、わたくしはいじめがあ るという現実から出発して、子どもたちをどうやって救い守るのか、いじめをどのように少なくしていくのかを考えることが重要だと考えています。また、教会 の中にもいじめがあるということも認めていかなければならないでしょう。

小教区に来ている子どもたちがいじめにあっていることをよく耳にしま す。実際に、多くの子どもたち、特にダブルの子どもたちがいじめにあっているのです。子どもたちは自分が受けているいじめを家族に打ち明けることすら勇気 のいることです。家族にとって、特に海外からの移住者の家族にとって、それを学校や教育委員会に相談することには不安や困難がともなうでしょう。

わたしたちに出来ることは、子どもや家族が相談できる環境を小教区(ブロック)にも作ることです。その環境はいま、わたしたちの教会にできつつあるとわた しは思っています。皆さんの中でも相談にのり、子どもや家族に寄り添ってくださっている人も多いと思います。個人的な相談のレベルから少し輪を広げて話し 合い、チームとしていじめにあっている子どもや家族を支え合うことができれば、そして、教会の仲間が兄弟姉妹として学校、教育関係者、地域社会に対しても 相談や話し合いを進めていくことができるようになればと願っています。

この二年間、派遣切りなどで雇用不安が広まったなかで、教会共同体の皆さ んが、一緒になって職を失った人や生活に苦しんでいる人のために支援、援助をしてきました。それと同じように、いじめの問題についても、それぞれの出来る ことを持ち寄って、共に歩んでいければと思います。

2011年新年の司教メッセージ
【日本語】http://www.saitama-kyoku.net/our_diocese/our_bishop/messages/index.cgi?mode=view&date=2010_12&turn=on&id=adの司教メッセージ
【タガログ語】
http://www.saitama-kyoku.net/our_diocese/our_bishop/messages/2011/2011p.pdf

  1. 2013/10/24(木) 16:19:02 |
  2. URL |
  3. ちゃりこ父
  4. [ 編集 ]
学習する気がないというのが、ありありと分かるね。

明子さんという子供が「そもそもの始めからいなかったこと」にされているんだ。

私のところもね、ちゃりこが不登校のまま卒業して、私が作った卒業証書だけでいいっていうから
「ちゃりこさんに受け取っていただけなかった卒業証書は、何の教訓にもならない校長室の薄汚い歴代校長の顔写真をはずして代わりに飾っておきなさい」って板橋区教育委員会に伝えたんだけどね。もちろん、言うこと聞くわけないわな。
奴らは学習しようという気がない。
だから、繰り返しだ。
明子さんの命も、ちゃりこの不登校も、「そもそもの始めからなかったこと」にしておしまいなんだよ。
だから繰り返す。
いくらでも繰り返す。

  1. 2013/10/24(木) 14:26:01 |
  2. URL |
  3. 地元住民
  4. [ 編集 ]
驚きました。
昨日子供に聞きました。
学校で黙祷など、明子ちゃんについての話は何もなかったそうです。
去年の担任の先生はちゃんとその日に子供たちに話をしてくれたのに。
まだ3年しか経っていないのにみんな随分昔の出来事だったかのように普通に過ごしているのがとても違和感があります。
絶対に忘れちゃいけない事なのに。
天国では毎日幸せに笑って過ごしているといいな。

  1. 2013/10/24(木) 00:20:06 |
  2. URL |
  3. ねこ
  4. [ 編集 ]
謹んでご冥福をお祈りいたします。

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