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特別支援教育が十把一絡げであるのは、日本中の特別支援教育で見られること

  1. 2013/11/18(月) 08:43:32|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
教職課程において履修が必要な障害者教育というのは、知的障害や発達障害に限られており、さまざまな形態の障害と向き合う機会は教育実習において短期間に限られているので、教育免許制度と教育学部の全国的なカリキュラム改変を模索しない限り、スペシャリストの養成は難しいのではないでしょうか。文部科学省は、去年になって「特別支援学校のセンター的機能の取組に関する状況調査について」という報告書をまとめたばかりです。

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/material/1327787.htm

平成19年4月から、特別支援教育が学校教育法に位置づけられましたが、「障害のある児童生徒の教材の充実について」という報告がまとめられたのが、やっと今年の8月28日に過ぎません。

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/material/1339114.htm

要するに、特別支援教育が十把一絡げであるのは、日本中の特別支援教育で見られることであり、ここ数年の間民主党も自民党も、「仏を作って魂いれず」の無為無策だったことはかわりなく、特別支援教育は、国会の予算委員会でじっくり話し合う事柄だと思います。

特別支援教育が学校教育法に位置づけられながら、スペシャリストの養成に不可欠な教職課程の整備が遅れてきた背景には、人間のあらゆる営為を直近の利害損得に結びつけ、人間を効率性という観点からのみ考えるネオリベ(新自由主義的)的な発想があるのだと思います。特別支援教育というのは、日本の社会のあり方を問う国民的課題ですが、その自覚がほとんどの国民にないということがまず問題だと思います。
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