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桐生市いじめ自殺裁判  勝利の記録

桐生市いじめ自殺裁判に勝利するまで

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いじめ問題における罪と罰

  1. 2014/07/21(月) 12:24:34|
  2. 市民の会の意見
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
今回はこのいじめ裁判における罪と罰の問題を考える。
この主裁判は、被害者家族が桐生市と群馬県を訴えた損害賠償裁判である。
残念ながら民事裁判では資本主義社会なのですべてカネに換算して、人の命もお金に換算して
求める以外にない。もっとも裁判長が提唱したように、行政が家族に謝罪文を書くという条項もある。

そして、行政側は、(特に桐生市は)今まで弁護士費用に五百数十万を使っておきながら、被害者家族には
1審判決賠償額の四百五十万円を支払う気持ちはない。
そして例え和解で決まった賠償額も、教育担当者には痛くも痒くもない。すべて税金に上乗せすればよいからである。
あの無責任校長は退職金全額支給されて円満退職している。
「組織防衛」の報告書を書き、教育委員会を踊らせた市教委事務局も校長、教頭に出世している。
教育員の何名かはいつの間にか退任して雲隠れしている。

高裁の判断が、いじめはあった。学校は安全配慮義務を怠った。ということであればその責任はだれが取るのか。
ここに現在の日本の不条理がある。
公的機関はまちがわない。公務員は個人の責任を追及されないとしたら、市井の人々の絶望は救いようがない。

市会議員も腐敗を極め、判決文を読まないで控訴に賛成するという愚かさである。そして彼らを選んでいるのは多くの
市民なのだ。まさに盲目というしかない。

しかし、公務員とか役員とかいろいろなベールをしていても、人間の倫理的責任というものは死ぬまで追いかけるものだ。
一人の少女を死に追いやっておいて、さらにその家族を攻撃するような者たちが、いかに善良な装いをしようと
罪の意識は消すことができない。そして罰はいずれ自らが招くものとなるであろう。

それはクラス仲間を追い詰めた子供たちにも言える。彼らは長い人生を送ることとなる。
それは彼らだけでなく、隠蔽と繕いに奔走した大人たちの責任でもある。
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