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桐生市いじめ自殺裁判  勝利の記録

桐生市いじめ自殺裁判に勝利するまで

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事実的因果関係と相当因果関係について

  1. 2014/09/03(水) 22:48:32|
  2. 市民の会の意見
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
「因果関係」について、法的な概念を一般庶民が理解するには困難が伴う。
第1審判決では
 「N小の対応と本件自死との間には、事実的因果関係があり、しかも、本件自死の主たる原因であったということができる。」
と事実的因果関係を認めている。
そして両親や家庭環境が原因だとする市教委、学校側の説を退けている。
これは普通我々が解するならば、
「学校のいじめが自殺の原因であった」とするのが普通である。

それならば、因果関係はあったとするが、
「相当因果関係」が成立するには、「自殺の予見性があった」ことを証明しなければならないという。

これはいわば、「死んじゃう死んじゃう」という子供をさらにいじめて追い詰めなければ成立しないということなのか。
または、
「あの子は死にそうだけど」気味がいいからワザとほっておこうとしなければ成立しないのか。
相当因果関係というのはそういう性質なのか?

原発被害地域に住んで自殺した婦人の場合、原発事故や放射能漏れで生活が破壊され、それが原因で
精神を打ちのめされ自殺に至った件とこのいじめ事件のどこがちがうのだろうか。

桐生市や、桐生タイムスが「相当因果関係はなかった」と鬼の首を取ったように言い叫んでるのは、
そのような法の形式的な概念構成によって、世間が考える「いじめが原因で自殺するにいたった」という
考え方を否定でき、更には「俺たちには何の責任もなかった」とまで思いこみたいからであろう。

しかし、事実的因果関係があったということは、そうすると何も意味がないのであろうか?
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