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桐生市いじめ自殺裁判  勝利の記録

桐生市いじめ自殺裁判に勝利するまで

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教育における民主主義はいかに破壊されているか

  1. 2014/11/17(月) 01:52:15|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
桐生市教育委員会のなりふりかまわぬ行いをこれから考えてみよう。

来年統一地方選挙があり、桐生市長選挙がおこなわれる。
亀山市長は、このいじめ問題について記者会見を行わない。
それは下手なことを言って、自分の識見のなさを知られたくないためだ。
誤魔化してやり過ごそうとしている。

ところが桐生市教育委員会の面々は、市会議員までも
「警察捜査は間違っている」
「裁判所判決は事実誤認だ」
などと市民感覚とかけ離れたことを平気で言っている。
これは、彼らが完全に役人化しているので市民の声を
平気で無視できるためだ。
教育委員は公選制廃止以来、いわば地方ボスの中から選ばれているお人形だ。
そしてPTAや育成会は草むしりや学校行事のアルバイト化している。
そして父母たちは子供を人質に取られているので思ったことが言えない。
そしてクレームを言う父母にはマスコミが「モンスターペアレント」のようなお得意の
扇情的な造語でそれを圧殺している。
そして父母の学歴が教師たちよりより高い地域では、なるべく父母会を開かない。
こうしてアメリカ民主主義のシステムは昔風の大政翼賛会型に変質させられた。

一方陰では公然化している縁故就職によって、原発村のような
教育の利権組織は完成してきた。
教師が首になるのはよほどの変質的犯罪や交通事故で死亡事故を起こした時ぐらいだ。
(死亡事故でもひそかに救済した事例を私は知っている)

本来、公教育は公権力に支えられている。
公権力が1市民より強いのは常識で、警察でさえ法に基づくことをかなり厳密に行っている。
ところが教育現場で行われていることの手続きはかなり乱暴である。
教師による体罰や、桜丘高校の例を見ればそれが分かる。

こうして教師たちは良心を眠らせ保身に走ることが可能になっている。
これが今の「民主主義教育」という言葉さえ死後になっている現状である。

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