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桐生市いじめ自殺裁判  勝利の記録

桐生市いじめ自殺裁判に勝利するまで

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この裁判の警鐘はいかされたか 3

  1. 2017/02/21(火) 16:49:36|
  2. 市民の会の意見
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
公教育の変遷

 なぜこの国のいじめ問題がこれほど深刻化したのかという原理的な考察なしに、対処療法を施しているだけでは、
この問題は、スクールカウンセラーや学校相談員などというヤブ医者や疑似のアルバイトにますます身銭をかすめ取られるだけになるだろう。
 1980年頃から発現し学校全体を包み込む病理現象を理解するためには公教育の目的と方法に目をやる必要がある。

1) 近代国民教育の成立と目的
 ヨーロッパにおいて近代国家が成立したのは、1830年代ころであって、そのころの国民皆兵主義にあって第一の目的は、国民意識の涵養と兵士の育成であった。つまり最初に国への忠誠心、国旗への忠誠(これは米国で特に著しい。また国家はそのほとんどが君主制の称賛または独立戦争の軍歌である。つぎに読み書きそろばんが求められた。標準語の普及もそのうちに入る。
 1872年に実施された日本の学制発布もそれらの例の後追いである。
2) 軍国主義教育
 そして日本では、1904年の日露戦争ころより列強の争いに加わる中で、乃木将軍賛美のように、軍国主義礼賛の必要が高まる中で、狂信的な死を美化するようなイデオロギー教化政策の色合いが強まった。これは近年の一部社会主義国の教育にも比せられる。しかし、逆説的なのはヨーロッパで人権思想が、人間はかみの似姿であるというアイディアに基づいていたのに対し「人民はみな天皇陛下の赤子である」というような水平主義もあった。この発想はイメージとしては、原始共産主義のように皆貧しいが故の平等という考えや村落共同体の寄り合いで相互扶助する意識、また封建時代の支配階級であったサムライが意外と奢侈を好まず清貧を良しとした道徳意識などに培われた日本人特有の平等意識ということもできるだろう。
3) 戦後の民主主義教育
 戦後の民主主義教育は欧米流の教育方式を適用したひよわい教育改革であった。占領軍によって主にアメリカの教育行政に習って第二の学制改革6・3制を敷いたのだが、この民主主義理解は多数決や教育委員会制度を採用したが、すぐに換骨奪胎された。というよりももともと中核の人権思想という骨がなかったのである。だからそれは短足がに股の男がズボンをはき、雪駄履きの姉さんがハイヒールを履いたようなものであった。
 すぐに教育委員会が任命制の地方ボスの名誉職となり、PTAがまた学校と結託した強制的合意形成機関と化したのはいい例である。
 他方でこの時期に日本人が誤った最大のことは、教育の主体は家族ではなく国家だという考えが普及したことだ。これは戦前の軍国主義教育の裏返しで、各自が信念を失い学校に任せるといういわば価値喪失を行ったことだ。他の言葉でいえば、とにかく大学まで行かせる、その経済的面倒を見るということで責任放棄をしてしまったことである。その結果、欧米の母親に比べ奴隷のように働いている母親を、女子高生がああやれこれ買えと言っているような構図も生まれた。そしてこのことは次の段階で家庭が教育産業の餌食になるという事態も生んでいる。
4) 偏差値教育の浸み込みと教育観念の包摂
 1965年ころより、日本のきょういく諮問は経済界の親玉がこれを指図することとなった。これはどういうことかというと、期待される(経済界から)人間像として、産業界の要請に基づく人間作りが基本となった。一番都合がよいのは物言わずいうことを聞き、その限度まで働き奉仕する人間である。そして生徒たちを魚群のような群れに譬え、優勝劣敗の意識を社会に出る前から根付かせる教育を浸透させた。テスト教育に基づき何回もその洗車シャワーを潜らせることにより、国はこの制度を完遂した。そのときその手足となったが、偏差値という疑似科学を信奉した知識人ではないのにそれを装う現代化教師どもであった。
彼らは教義や信仰の原点も知らずいたずらに現生利益の出世主義にとらわれたエセ集団である。
 
5) 無機質な箱と化した学校で、競争を強いられた鬼っ子の出現
 1980年代は当初校内暴力という形でストレスをためた子供暴風が吹き荒れた。すると公教育は知徳体と言いながら、折からのスポーツ信仰の上昇と相俟って主に体育系教師を暴力に対抗し鎮圧するための道具として使い始めた。右翼系体育教師は柔道、空手、弓道、剣道だけでなくあの悪名高いバレーボールやハンドボール、水泳、陸上など日々運動に明け暮れろくに大学の勉強もしなかったものが安易に教職口を得た。また国体対策に市町村に就職した者も、そのコネづくりのうまさと飲み会などを利用して、学校教育と警察連携などを通じて蜘蛛の巣のごとく教育をわがものにし、ついには校長教頭などの管理職を猟官した。また見逃せないのは、五教科以外の教員、特に音楽技術科などである。合唱コンクールも生徒をまとめるという美名のもとに生徒の順化教育であり、また教材研究もいらないコネで教職にもぐりこんだ技術科教員などもここで出世の目があると思うや文科省などの指定校制度を利用して生徒を校内清掃に励ませ自らの評価とするなどいわば教育現場が教員の草刈り場となることも多い。
 行き場のないストレスを抱えた多数派と逃げ場のない空間に閉じ込められた少数派、現在の日本の学校現場はそのような構造力学が働いているのであろう。

 こうなると、
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