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桐生市いじめ自殺裁判  勝利の記録

桐生市いじめ自殺裁判に勝利するまで

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日本スポーツ振興センター、無責任な公営保険、公営ギャンブルか?

  1. 2015/09/08(火) 18:51:00|
  2. 未分類
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日本スポーツ振興センターという得体の知れない名前の機関
国民は、そこから何をする組織かイメージが持てないでいる。

これは言って見れば文科省官僚のための集金代理組織 collecting agent である。、
今回の災害給付金で見ると。
以前「学校安全会」と称していた児童生徒の安全保険を管理している。
この支払は学年はじめに父母から集められるお金と、市町村からの支出が当てられている。
一見、民間保険に比べて公的機関が良いことをしているように見えるが、その元は税金である。
この「任意でなく強制保険」、これは自動車の自賠責のようなものである。
この財源がすっかり文科省の天下り組織に入るのであるから、「おいしい」筈である。

そして支出に関しては、民間の保険会社よりも査定が厳しい。というよりいい加減である。
ある時は出し、あるときは出さない。
なぜそんないい加減さができるかというと、他の会社との競合がないので、何しても平気なのである。

今回の裁判の争点では、
学校でいじめがあったことは認める。しかし相当因果関係が認められないということで抵抗している。
しかし弁護士さんによると、行政裁判における損害賠償の要件として「相当因果関係」が必要とされても
保険の場合は事実的因果関係で十分なのだという。

ところで桐生市教育委員会の青少年スポーツ課担当者が言うには、その頃自宅の火災事故で家が焼失した
家族には50万円が支給されているという。
この場合、「相当因果関係」はあるのか?学校でマッチやらいーでも配ったのか?
それとも火災保険条項が付いているのか?
まったくもって不明なケースである。

倫理喪失とは何か 反「真善美」

  1. 2015/09/04(金) 06:48:39|
  2. 未分類
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日本で道徳というと、儒教の教えが前提としてあり、忠孝を教え込むというカビ臭さが付きまとう。
実際の儒教はさらに広い徳目を持っていたとは思うが。

それはさておき、いじめ問題をめぐる教師や教育行政関係者の精神は、お上の御威光を保つという忠という
精神では一貫しているようだ。それに隠とか蔽というような新徳目も発明している。

さて西洋のギリシアローマ文明は真善美という三つの項目が良く言われる。それにキリスト教は絶対者を信じるというような
軸を加えている。

その観点でみると現代日本の教育者、教育行政担当者(実はこちらが悪質)は
見事に
不実:真実を隠し
非善行:善いものを脅かし
醜悪:隠蔽の素行はあまりにも醜い
という点で、アンチ真善美の見本である。

その彼らが、道徳を連呼し、いたいけな子供をたぶらかし、偽善を延々と演じ続けるその負のエネルギーには驚嘆するものがある。
しかしそのモチベーションは実は単純だ。
利得また利権:国民から吸い上げたおいしい生涯賃金、プラスボーナス(公務員になぜボーナスがあるのか?)、プラス年金
地位保全:首切りのない生涯雇用、プラス管理職まで行けば、インチキ大学や公民館などのおいしい天下り。
臆病:わが身ばかり大事でいくらかの子供など眼中にない。
などのエゴイズムが根に巣くっているからだ。
だから文科省の官僚から下っ端教師たちが
「道徳、道徳」と叫ぶのは、「無知、従順、隷属」という掛け声で、内心では「俺たちは好きにやる、欲得、利得、取り逃げ」
叫んでいるだけである。だから他人に道徳を押しつける輩ほど、その顔つらは醜い。

クサイ臭いは上から断たねば

  1. 2015/08/20(木) 06:07:25|
  2. 未分類
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教育現場のいじめの本質は、一見みんなのためにあるような公教育機関が実は強者弱者のふるい分けをする産業機関であることにある。
それは、人間という柔構造をもった存在を、産業用にひとつの型枠に流し込むための装置にするという転換に成功した時から発生した。
1960年代に発表された「期待される人間像」なる経済界が作った作文を、偏差値などというニセ科学的思考が20年の間に浸透し子供社会を一元的な価値観で統制する過程で生まれてきたものである。
もともと上を見る習性の役人的思考の教師たちが国家目標の走狗として、学校内での強者を作り弱者を排除することに奔走されてきたことにもよる。
 教育委員会は、地元コミュニティの良識に基づいて運営されるというアメリカ民主主義の思想を換骨奪胎して、地方ボスのいいように教育を牛耳るという組織に変質した。
文科省の実態は、時の政権政党のご機嫌伺いと省庁利権に乗って甘い汁を吸おうという機関に堕していることは、国立競技場問題で明らかになった。日本スポーツ振興センターに至っては、農水が競馬で儲けているので、サッカーくじを導入し、学校安全会ではいる利権も合わせ、官僚の天下り機関を作ろうという無責任機関であることが明らかである。

それでもなお、日本の教育の仕組みが官僚的であるからには、役人の目を下に向かせるには、上を変えなければダメなのである。
桐生市教育委員会もあのいじめ事件から何も学んでいない。というより自らで身を切ることを一切しない。
これは、そこにいる役人たちが「心の底から腐っている」ことを意味する。
だから、というのはそこにいる良心を亡くした教師たちには期待できないので、上の頭を挿げ替えることしかないのである。
これは悲しいことだ。それこそ日本も中国や北朝鮮と同じアジア的体質に染まりきっていることを意味するが。

日本をきれいにする

  1. 2015/08/18(火) 23:24:00|
  2. 未分類
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普通の人が当たり前に働いて気持ちよく生活できる
その当たり前が当たり前でないのが現代日本の心地悪さだ。
これは人生の重要な部分を担う箇所にインチキ男や女が入り込んで
利権をむさぼる輩が蔓延しているからだ。

だから民主主義の課題はひとつ
利権にすがり権力を乱用する輩を処罰すること
その筆頭が高橋清晴桐生市教育長。

ひとつの命の重さに対する不敬の罪は何よりも重い。

日本スポーツ振興センターはカネを生み出す悪知恵

  1. 2015/08/06(木) 07:36:22|
  2. 未分類
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日本スポーツ振興センターという覚えにくい名前の組織、その一側面が新国立競技場でアkらかになった。
文科省の天下り団体であるここの人間は足し算や掛け算だけ得意らしい。
国民や都民の税金ならあっという間に1250置くが2倍になる。「どうせ国民は馬鹿だから」
ほくそ笑んでいる。

実は財源はあと二つある。
アズサッカーくじ、これだって面白くもないJリーグを肥やしにして行うサカー賭博の寺銭稼ぎである。
文科省は賭博症例もしているのだ。これには日本モーターボート振興会の笹川一家もうかうかできないと思っているに違いない。

そして第3は、学校災害保険(正式にどういう名称かは後確認)、これは以前は学校安全会と呼ばれていた。
実はこの基金は父母から集めるのと半額を税金から出させるのと二つある。
そして災害給付金の認定も新国立競技場と同じくドンブリ勘定である。

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