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桐生市いじめ自殺裁判  勝利の記録

桐生市いじめ自殺裁判に勝利するまで

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やっぱり 学校関係者は最重要資料を秘密裏に廃棄した

  1. 2014/03/27(木) 00:04:25|
  2. 学校と市教委の隠蔽過程
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
3月14日に原道子裁判長が判決の説明で何度か繰り返した言葉があった。

それは「振り返りアンケート」という言葉であった。
今まで自殺後の10月29日に行った「学校生活アンケート」というものがあった。それさえも岸校長は
内容を抜き書きして換骨奪胎したものだった。

しかしこの「振り返りアンケート」は明子さんの自殺の1か月前頃に書かれたものである。そこに明子さん自身の
心情やクラスの様子が書かれている重要資料である。

しかし今まで学校関係者や市教委はその存在すらも隠していた。これが公になったのは昨年末裁判所が関係書類提出命令を出してしぶしぶ提出したものである。

しかし、市教委が提出したのは集計結果だけであった。児童たちが書いた原文はA教諭は「学校にあるはず」と言っているのに提出されなかった。このアンケートの作成にかかわったのは岸校長、生方教頭、園部生徒指導主任らである。
彼らの誰かが、いや共謀で闇に葬ったのであろうか。

市や県が控訴するならば、証人尋問で明らかにしたい点である。

桐生市教育委員会の詭弁 ベルナールさんのコメント転載

  1. 2013/10/25(金) 18:13:51|
  2. 学校と市教委の隠蔽過程
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
ブログ主さんのご意見に同感です。

事件発生時も現在も桐生市長である亀山豊文氏は、2010年11月9日の「上村明子さんの訃報に接して」という記事のなかで、

「10月23日、新里東小学校6年の上村明子さんが、自らの命を絶たれたことに
つきまして、明子さんのご冥福をこころからお祈り申し上げます。自分の人生に終止符を打とうと覚悟するに至った明子さんの心情を思うと、どうしてそれまでに明子さんが発していたはずのSOSに気付けなかったのか本当に残念でなりません。明子さんの訃報に接して、私も直ちに事実確認や子供さん達のケア及び今後このようなことが起こらないための対策を教育委員会に指示いたしました。昨日開催された教育委員会に、明子さんに対する「いじめ」があったと認める調査結果が報告されました。学校での「いじめ」が明子さんにつらい思いをさせ、明子さんを苦しめていたことに対しまして、明子さんや明子さんのご両親に心からお詫び申し上げます。私としても、どうしてこういう「いじめ」が起き、察知がおくれたのか、自殺との関連も含めてさらなる調査を行うよう教育委員会に指示いたしました。今後は、二度とこのようなことが起こらないための対策を確立し、子供さん達や保護者の皆さんが安心して勉学に励める環境づくりに、教育委員会ともども最善の努力をして行きたいと思っております。改めて明子さんのご冥福をこころからお祈り申し上げます。」

しかし、2011年9月9日に行われた第3回口頭弁論原告側は、担任教諭らのいじめ防止義務違反などを指摘したが、市や県は「犯罪に当たるようないじめではなく、防止義務違反はないと考えている」と否定しています。

事件発生当時には、「どうしてそれまでに明子さんが発していたはずのSOSに気付けなかったのか本当に残念」として、「どうしてこういう『いじめ』が起き、察知がおくれたのか」と反省を述べながら、裁判が始まるや、一転して「陰湿で悪質ないじめとは言えず、自殺は予見出来なかった」(『朝日新聞』2011年9月10日付)などと述べています。

さらに、加害女児とその保護者への提訴では、被告側は「いじめの事実はない」などとして請求棄却を求めています。この「いじめの事実はない」というのは、市や県側による、いじめはあったが「陰湿で悪質ないじめとは言え」ないと比較しても恐るべき発言ですが、「上村明子さんの訃報に接して」での市長発言、裁判での市と県側の発言、加害女児側の主張は、互いに大きく矛盾しています。

市と県側は、「陰湿で悪質ないじめ」ではない主張で矛先をかわしたとでも思っているのでしょうが、それなら公然たるいじめなら、いじめを行っても良いのでしょうか?この主張は、2010年11月8日付の『読売新聞』による取材とも大きく齟齬します。桐生市教育委員会の関係者は、「いじめの実態があったことは、認めざるを得ない」「給食時に一人にさせていたことは異常。この事態をとらえて、いじめがなかったとは言えない」などと明言しています。

つまり、桐生市教育委員会は、給食時に明子さんが一人孤立し、その状態が放置されたことは、担任教諭も認めており、もちろん他の児童たちもそれを知っています。

市と県側による「陰湿で悪質ないじめ」ではなかったという主張は、大津の中学校におけるいじめ事件において、いじめの事実を把握していながら、担当教諭が「やりすぎるなよ」と指摘するにとどめたことを想起させます。これは、「やりすぎ」ない程度ならいじめても良いというお墨付きを加害生徒に与えたに等しい行為です。
「給食時に一人にさせていたことは異常」という、桐生市教育委員会側の主張はまっとうであり、まさに「この事態をとらえて、いじめがなかったとは言えない」のです。しかも、この孤食は、担任教諭も同級生全員が見ていたなかで行われたことです。

明子さんの死後、その遺品のなかから、給食時の孤独を気遣う同級生からの手紙も自宅で見つかり、手紙には「金曜日、はん(給食)さみしかった??ゴメンネ!!」(『上毛新聞』2010年11月6日付)と記されていたそうです。同級生の一人は、明子さんが耐えがたい苦痛と恥辱をあじわっていると知りながら、それを公然と表明すれば、次は自分がいじめのターゲットになるということを熟知していたのです。まさに、学級は「恐怖」に支配されていたのです。

そして、孤食の状態が改善されることなく継続したという事実は、担任教諭の主観的意図とは関係なく、明子さんをのけ者にしても一向に構わないというメッセージとして同級生側に受容されたでしょう。

今一度問いを整理します。いじめは、それが「陰湿で悪質な」ものでなければ良いのでしょうか?それが公然たるものであれば、いじめを行っても良いのでしょうか?「やりすぎ」ない程度のいじめなら許容すべきなのでしょうか?

いじめはあった、しかしそれは「陰湿で悪質ないじめ」ではなかった。いじめはあった、しかしそれが自殺の原因ではない … いじめを把握しておきながら、明子さんの生前事態の改善に手をこまねいていた責任者たちが、このようなことを言う資格があるでしょうか?ここには、寒々しい法廷戦術と逃げ口上があるだけで、児童生徒たちの心情を思う気持ちなど微塵もありません。日本の将来を担う子供たちが、このような詭弁を弄する教育者たちの手に委ねられていることには、誰しも戦慄を禁じ得ないでしょう。

みどり市の「いじめ防止うちわ」記事に対するベルナールさんの批判

  1. 2013/10/25(金) 18:10:39|
  2. 学校と市教委の隠蔽過程
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  4. | コメント:1
地元市民さんのコメントとブログ主さんのご指摘に同感です。
「空しい標語と繰り返される過ち」
9月26日付の『桐生タイムス』に、「届け“誓いの言葉”いじめ防止うちわ手作り」というみどり市の記事が掲載されました。
http://kiryutimes.co.jp/2013/09/page/3
みどり市とは、桐生市の隣市で、「いじめを防ぐために自分たちができることはなんだろう―。子どもたちが自ら考えた“誓いの言葉”を大人たちに届けよう」ということで、いじめ防止うちわ防止に初挑戦し、「見て見ぬふりをしない」などの行動宣言をしたそうです。

たしかに、うちわの裏面に書かれた「言葉づかいに気をつけ、友達の良いところをたくさん見つけます」等々は、校長が述べるように「子どもたちの中から出てきた言葉」ものでしょう。また、「運動会に来る保護者や地域住民らに配る」のも、良いことではあるでしょう。

しかし、この企画と報道には、一つの死角、決して小さくない死角が存在します。それは、なぜ他ならぬ「いじめ」に特化して「見て見ぬふりをしない」との宣言が出されたかという原因・理由です。

桐生広域県の合併枠組みの混乱のなかで、東西を桐生市に挟まれているみどり市の住民が、いまから3年前に起こり、海外にまで報道された、桐生市内の小学校で起こったいじめ事件を知らないはずはありません。また、この「いじめを防ぐための」うちわ作りにこの事件が無関係なはずがありません。つまり、この『桐生タイムス』の記事は、「子どもたちの中から出てきた言葉」-- 「企画」と書かないところが正直なところですが – を前景化することによって、3年前の事件を隠す働きをしているのです。

この記事において、3年前の事件がまったく言及されていないことの異様さを指摘した論説はほとんどありません。こうして起源は忘却され、やがて「起源の忘却」さえ忘却されて行くでしょう。

広島の原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。しかし、ここでは、何が「過ち」であったのか、誰が誰に対して犯した「過ち」であったのかがまったく問われておらず、東日本大震災にともなう福島の原発事故は、「過ちは繰返しませんから」が、いかに内実のない、空しい標語であったかを示しています。

明子さんが在籍した小学校の元校長は、証人尋問の際に、執拗ないじめにあっていた明子さんの自殺に関して「予見できなかった」としています。「予見できなかった」… どこかで聞き覚えのある言葉ではありませんか?われわれは、薬害エイズ事件から福島の原発事故に至るまで、「予見できなかった」という言葉を繰り返し聞かされてきました。しかし、ジャーナリズムや司法による追求によって、その遁辞が虚偽であり、政府や企業に買収された御用学者たちの一見もっともらしい意見に根拠もないことが次々と暴露されて来ました。

「予見できなかった」という言葉を聞いたら、その言葉づかいとは逆に、「格別の留意と詳細な検討が必要だ」という注意喚起だと考えるほうが実情の理解に適っています。

おそらく、桐生のいじめ事件に関しても、この事件を、たまたま「悪い」加害児童と「指導力不足」の担任の責任に矮小化しようという当局の動きや、学級崩壊を自然現象のように論じて責任の所在を曖昧にしようという御用学者の論説や、さらにこの事件を風化させようという地元マスコミの巧妙な報道が出で来ることは、あらかじめ「予見できる」ことでしょう。

ちょうど、カメラのファインダーで対象を見たとき、その視界から外れたものが見えないように、「あらわすこと」は、同時に「隠すこと」なのです。朝日、毎日から読売、産経に至るまで、日頃はその政治的主張の違いからいがみあっている全国紙も、この事件に関しては、事後の裁判に関しても精力的に取材しています。それと対照的な地元マスコミの「故意の言い落とし」には違和感を感じざるを得ません。

また、先の記事を好意的に考えるなら、1か月前に群馬会館で開催された「平成25年いじめ防止サミット」に参加した群馬県内の小学校の内の一つとして、その宣言趣旨を具現化したと言えなくもありません。

しかし、「学校で黙祷など、明子ちゃんについての話は何もなかった」という無関心を反映するかのように、明子さんの在籍した小学校は、このサミットにさえ参加していません。まだ3年しか経っていないのにみんな随分昔の出来事だったかのように普通に過ごしているのがとても違和感がある」とのご指摘は当然でしょう。

第1回口頭弁論で、被告側の答弁書では、「教員らはいじめの問題について真摯に取り組み、注意義務を尽くしてきた」(『日本経済新聞』2011年2月18日付)そうです。また、同級生側によると「いじめの事実はなかった」(『毎日新聞』2011年10月5日付)とのことです。この小学校は、「いじめの事実はなかった」のに、いじめに対する「注意義務を尽く」す奇怪な学校のようです。

地域の小中高等学校に多くの教員を輩出している地元国立大学(該当地域なら、群馬大学教育学部)は、必修課程に「いじめ」対策の講座を必ず設置すべきでしょう。

生前悪意と無責任に取り巻かれていた明子さんは、その死後さえ、虚偽と無関心によって愚弄されています。これは他人事ではありません。日本の教育のあり方が変わらなければ、いつでもわれわれの子供の上に起こることです。このような非道と理不尽がゆるされてはなりません。

明子さんの死を忘れさせようとする学校について ちゃりこ父さんのコメント

  1. 2013/10/25(金) 18:06:44|
  2. 学校と市教委の隠蔽過程
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学習する気がないというのが、ありありと分かるね。

明子さんという子供が「そもそもの始めからいなかったこと」にされているんだ。

私のところもね、ちゃりこが不登校のまま卒業して、私が作った卒業証書だけでいいっていうから
「ちゃりこさんに受け取っていただけなかった卒業証書は、何の教訓にもならない校長室の薄汚い歴代校長の顔写真をはずして代わりに飾っておきなさい」って板橋区教育委員会に伝えたんだけどね。もちろん、言うこと聞くわけないわな。
奴らは学習しようという気がない。
だから、繰り返しだ。
明子さんの命も、ちゃりこの不登校も、「そもそもの始めからなかったこと」にしておしまいなんだよ。
だから繰り返す。
いくらでも繰り返す。

市教委はなぜ担任を雲隠れさせたか。 当時の記事から

  1. 2013/09/03(火) 00:54:56|
  2. 学校と市教委の隠蔽過程
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市教委はなぜ天川教諭に医師を派遣して「うつ」と診断させて秘密裏に入院させたか。
当時の記事が見つかったので掲載する。(「隠居老人のつぶやき」サイトからコピーしました。)

<群馬・小6自殺>担任「いじめあった」…学校側と食い違い 毎日新聞 2010/11/2
 群馬県桐生市立新里東小6年、上村明子さん(12)が自殺し、遺族が「いじめが原因」と訴えている問題で、担任教諭が県警の聴取に対し「明子さんへのいじめがあった」と認めていることが1日、捜査関係者などへの取材でわかった。学校側はこれまで「いじめという認識はなかった」と説明しており、学校と担任の認識が食い違っている。
 明子さんは10月23日、自宅で自殺した。遺書は見つかっていない。捜査関係者と学校関係者によると、担任への聴取は明子さんの学校での生活や、自殺までの経緯について説明を求めるために行われた。担任はこの中で、同級生が明子さんを無視したり、給食時に明子さんを避けて座るなどのいじめがあったと説明したという。
 同小の岸洋一校長は会見で、「5年生の時に母親から『いじめられた』という訴えがあったことは確認できたが、明子さんの勘違いだった。明子さんからいじめに関する特別な相談はなかった」と説明していた。【喜屋武真之介、塚本英夫】

おそらくこれが真実であろう。どう担任が姿を消したのはこの一週間あとだった。あまりにも出来過ぎている。
今は桐生警察に統合された大間々警察の調書にそれが残っているのだろう。そして彼女は市教委が行った「警察で何を聞かれたか」という逆聴取には、警察で言ったのと同じことは言わなかった。または市教委がその文書に手を加えたと思われる。なぜなら彼らは児童の手紙も検閲して書きなおしさせているから。

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